よきパートナー・佐取太郎という男

(山口陽三筆)


佐取結婚式2次会にて。左が筆者、右が新郎。

筆者には "ただ一人の親友" というのはいない、と思っている。 よき仲間はそこそこ多くいると思っている。パートナーと言える存在となると、 それはそれでなんとも言いにくいのだが、ここでは一人の同期を紹介したい。 高校時代の野球部の同期で主将を務めていた佐取太郎である。

筆者と佐取は高校入学とともに野球部に入部。中学まで野球はやっていたものの スコアラー志望で高校の野球部に入部した筆者と、中学では陸上部に入っていたものの 高校で野球部に入部した佐取。同期には二人を含めて14名の男子部員と2名の 女子マネージャーが在籍。筆者も佐取も、それぞれに同じ中学からこの野球部に 入部した仲間がいたこともあり、筆者と佐取が別段、「とても仲のよい二人」という ことでもなかった。やがて1年半がたって2年生の夏。先輩が引退して新チームに なったときに、大激戦の部員投票の末、佐取が主将に選ばれた。筆者の同期は 野球が上手な部員が少なく、中学時代に野球部に入っていなかったという部員も 佐取のみならず何人かいた。佐取についても野球が上手な方ではなかったが、 キャプテンシー、リーダーシップという点で最適との判断があって選ばれたものだった。 そうは言っても筆者は佐取に票を入れていない。今もう1度投票をやることになったら 当然、佐取に投票するが、いずれにしてもこのときは投票していない。 ただ、とにもかくにも佐取が主将に選ばれた。当時はそんなことを感じもしないが、 今振り返れば、筆者と佐取の微妙なる現在の信頼関係、パートナーシップは、 このときをスタート時点としている気がする。

佐取という男はいろいろな点で優秀である。県内のとある学区で当時トップレベルと された公立高校に入学してその中でも成績は優秀な方だった(正確な数字等までは把握していない)。 身体能力もあり、陸上部出身ということもあって校内マラソン大会などでも 上位に入っていた気がする。大学進学にあたっては1年の浪人期間があったが 商学で有名な国立大学に進学。大学卒業とともに一流商社に就職。同じサラリーマンと言っても 筆者と業種・職種の分野も異なるので仕事の内容をよく把握していないのだが、 仕事のできるタイプであることは想像がつく。実際にバリバリ仕事をしているようである。 投票で主将に選ばれたことを先に紹介したように、リーダーにも適任。 男性としても、就職後数年で結婚して1児をもうけるなど人生もおそらく順調。 また、そんな佐取の人生も十分予想できるというか納得できるものである。 とまあ、こうもいいところばかりを並べるとどうも気持ち悪ささえ感じるが、実際には欠点も いくつかある男である。ただ、ここでは欠点のことはあまり触れずに進めてみたい。

筆者と佐取の関係は、別の文章でも触れているが「妙な釣り合いを保ちながらの信頼関係」 と言える気がする。この関係は、高校時代の3年間だけではなく、卒業後の時間も含めて 長い時間をかけて少しずつできあがってきたものと思っている。ただし、筆者から 佐取への信頼関係が少しずつできあがってきたものである一方で、佐取から筆者への 信頼関係は、もしかするともう少し早い時期からあったのかもしれないということを、 あとあと感じることになる。それを知ってから、こちらからの信頼関係がより強いものに なっていったという気もする。こういうパートナー関係は筆者の人生の中では、 今のところ非常にまれである。

筆者から佐取への、高校時代の主将としての信頼が築かれたのは、新チームになってからの 冬くらいだった気がする。別に、何かきっかけがあってできあがったものではなく、 時間をかけてできあがっていったものではあるが。ある程度の時期から「主将になりたての ときは頼りなさもあったけれど、だいぶ主将っぽいことを言うようになったなあ」と 感じるようになった。主将っぽいなどということを筆者から評価される覚えもない かもしれないが。佐取側から筆者への信頼がどういう形だったのかはよくわからない。 想像の限りでそれを説明するにはまず、筆者の高校野球部への関わり方を説明 しておく必要がある。スコアラー志望で入部した筆者は、自チームのスコア記録と 個人成績集計、データ分析等を主な役割としていた。公式戦の対戦相手が決まれば 相手チームのデータ収集と分析も一応の役割としていたが、高校野球でしかも 強豪校同士のデータ収集ではないので、今思えばそれほど満足なものはできていなかった かもしれない。また、練習試合や公式戦の試合後にはスコアラーからの視点からという ことで、試合の中で気づいたことを反省で述べる役割も担っていた(負わされていた?)。 日常の部活動の中では、だいたい部員と同じような内容の練習はしていた。 試合に出場しないことを考えればむだな練習ではあるのだが、そこは監督の意向で、 練習にもちゃんと参加するように言われていた。

そういった筆者なりの部活動を、佐取が評価してくれていると感じたのが3年夏の大会である。 別の文章でも触れているが、我々は組合せの都合で2回戦からの大会入りとなり、 その2回戦の前日の練習後のミーティングで佐取が「俺たちは相手の試合も見ているしこれだけ データが揃って相手のことはわかっているんだから」とナインを元気づけた。 2回戦の対戦相手は1回戦の勝者だったのだが、1回戦の2チームのデータを筆者が事前に収集し、 資料を作成して部員に配布し、それを手に1回戦をみんなで偵察したという、一連の 活動が背景にあり、佐取はそれを指して言ってくれたのだ。そして2回戦の試合に 勝利したあと、保土ヶ谷球場から母校まで歩いて帰るのに、筆者がベンチから出るのが 遅れたがために部員はみな帰ってしまっていたが、佐取だけが筆者を待っていてくれて いっしょに帰った。先に述べたように、部の中で筆者と佐取は必ずしも特別な二人 というつきあい方でもなく(かといって仲が悪いわけではない)、二人で歩く機会など それまでになかったのではないかと思うが、最後の大会にして初めていっしょに帰った。 勝った試合のことを話したように記憶している。事前にデータで相手のことがわかっていて よかったというようなことは言ってもらえた気がする。

自チームのデータを多方面からはじき出していること、他校のデータを持っていることなどで、 佐取はおそらく筆者に一目は置いていてくれていたように思う。夏の大会前の抽選会(6月)でも、 チームから二人しか抽選会場に参加することができないのだが、くじを引く役目のある 主将・佐取は、会場に連れて行くもう一人として、筆者を指名したいと考えていた ようである。対戦が決まった場合の他校に関する情報をいち早くチェックする、などの ことも考えていただろうか。結果的には、通例通り女子マネージャーが同行する ことになって筆者が同行することにはならなかったが、こうして同行の候補に挙げて もらえることはうれしいことである。

卒業後についても、筆者は部のOB会の役員になったりした。佐取も役員を務めた時期が いささかあったかもしれないが、筆者の方は卒業後2年目くらいから、かれこれ10年以上に わたって務めている。筆者は、頑固でなかなか自分の考えを曲げないという欠点はあるにせよ、 わずらわしい細々とした事務的な作業は比較的得意であり、OB会のようなボランティア団体での 幹事的な役割は向いている方と思っている(自分で思っているだけかもしれない)。 佐取の方が役員を務めた期間がわずかだったと思うので、いっしょにOB会の運営をしたという 覚えはあまりないのだが、佐取は何か気づくこと、気になることがあれば筆者を 通す形でOB会への提言をしてくれていた。OB会とは別に、単に野球部の同期で集会をする、 などの場合にも、幹事はだいたい筆者が務めるが、 集まる時期や名目についても気づくことがあれば的確に言ってくれた (そろそろ集まった方がいい、こういう理由でみんなを集めてくれ、こう言えばみんな来るだろう、 など)。OB会にしても同期のことにしても、佐取の中で何か思うこと、感じることがあれば筆者を つっついていた。悪く言えば筆者は利用されているだけだったかもしれないが、 そうだとしてもそれはこちらとしても織込み済みだし、また、利用されているだけ かどうかというよりも、何かあって頼ってくれるということが筆者としてはうれしかった。 一般に面倒な幹事役や、事務的な作業を得意とする筆者は、佐取にとっては 利用しやすい、いやいや、頼りがいのある存在だったのだ(と思う、思いたい)。

一方で筆者から佐取への信頼は、高校時代に一野球部の主将としての信頼はあった。 ただしそれを超えて大きく信頼感を増したのは、卒業してからだいぶ時間がたってからだった。 高校3年夏の2回戦勝利後に保土ヶ谷球場から二人で歩いて帰った 一件は、それだけでも個人的に印象深い出来事だったのだが、さらに筆者の知らない 背景があった(らしい)ことを、高校卒業後10年がたってから筆者は感じることになる。 高校3年夏の大会に筆者は背番号20を背負ってベンチ入りしていた。ベンチ入り自体は うれしいことなのだが、自分がこだわったのは「記録員」という枠でのベンチ入りだった。 筆者がここに強くこだわったがために、大会前にチームとして乗り越えなければならない 問題が浮上してしまった。女子を登録することもできる「記録員」の枠には 女子マネージャーを登録することが通例で(少なくとも筆者の母校では)、逆に女子を ベンチ入りさせるにはこの1枠に登録する以外に方法がない。ただ、スコアラー志望で 入部してそれにふさわしい部活動を続けてきた自負のある筆者としては、 最後の大会に「記録員」の枠でベンチ入りしたい思いがあった。結局このときは部長顧問が 苦労され、我々の間に入るような形で筆者と女子マネージャーと別々に個別の話し合いを 何回か持ったりされた。 結局、「記録員は女子マネージャー。山口には背番号20を与える。」という折衷案を提示し、 最終的には筆者が納得しないながらもこれを受け入れて事態は一応収拾した。 筆者はここでの一件はすべて部長顧問が苦労して試行錯誤しながらなんとか折衷案を 導き出して筆者の説得を試みたものと思っていた。大会が終わり、高校を卒業してからも ずっとそうだと思っていたのだが、卒業の10年後にたまたま部長顧問と会って二人で飲んだときに その話になると、「あれは佐取が提案したものだった」ということを教えてくれた。 佐取が、女子マネージャーもベンチに入れてほしいと言ってきたとのことだった。 そのことで筆者は佐取を、よりすばらしいというか、すごいと思うようになった。 あの一件は山口陽三個人の高校3年生ゆえの若気の至りといったもので、それを人生の先輩である 部長顧問が被害の少ない形でまとめてくれたもの、という認識でいた。全面的に 筆者が悪いことは、年齢を重ねてから振り返るとよくわかるのだが、一方であの段階で そう思えなかったことは、それはそれで仕方ないかとも思っていた。ところが、 筆者が勝手に暴走していた一方で、同じ年齢であった主将が冷静に全体に気を配っていた。 それを知って自分の人間としての小ささを反省するとともに佐取の人間としての 大きさに感心した思いになった。そこまでを知ると夏の大会の初戦勝利後に佐取が筆者が 出てくるのを一人で待っていたことも、

というようなことを伝えたくて待っていてくれたと考えれば説明もつく。事実、前半部分は 直接言われなかったが、後半部分は言われた覚えがあるわけである。 筆者にしろ、女子マネージャーにしろ、部員一人ひとりに気を配った、立派な主将である。 そういうことがわかってから、筆者の佐取に対する信頼・尊敬はより強いものになっていった (だいぶ遅ればせながら)。

そんな二人の妙な釣り合いを保った信頼関係の集大成となったのが、平成16年秋に行われた 野球部の元監督の慰労パーティーである。各学年からパーティーの準備委員を選出し、 筆者の学年からは筆者と佐取を出した。筆者の方は準備委員の中でのリーダーとして 準備全体を運営し、佐取の方には事前準備の作業はほとんど任せずに当日の司会を委ねた。 このパーティーの準備の様子は別のページ(→こちら)でも 触れているが、筆者と佐取の役割分担については完全に理にかなっていた(というか 実態に即していた)。細かな事務的作業が得意な筆者が準備全体を司る立場に立ち、 リーダータイプで仕事もできる佐取に、本番で人前に立つ役割を任せる。 そして先に「妙な釣り合いを保った」と紹介したように、この両者は自分の比較的苦手な 部分を補ってくれる存在という関係にもなっていた。佐取は「こうした方がいい」 「ああした方がいい」という思想やアイデアはあっても実際に面倒なことに手を下すのは 得意ではない。逆に筆者は単純だが手間のかかる作業や手順のある作業を忠実にこなすのはともかく、 気の利いた話をしたりアドリブを利かせるようなことは得意ではない。 そしてこのパーティーに対しての両者の役割分担はほぼうまくいった。佐取は準備段階で 筆者のやることにほとんど口を出さず、それでいて大事なところで1回だけ助言をしてくれた。 基本的に任せるが、気になる点があれば筆者をつつく。いつも通りの関係である。 一方で筆者の方は佐取の本番については何も心配はしていなかった。ただし佐取の司会のための 周辺準備だけは万端にしようと思った。各ポイントで話す内容や、挨拶者プロフィール・ チーム戦績等の情報をまとめておいた司会要綱のメモを電子メールで佐取の会社の メールアドレスに送っておいた。そして当日は紙にプリントアウトしたものも持っておいた。 案の定、当日になって佐取は「プリントアウトするのを忘れたからFAXしてくれ」と言う。 出先のコンビニエンスストアからFAXした。この程度は織込み済みである。本番さえ司会の役割を しっかりこなしてくれればそれでよい。いつも通りの関係である。そこまではよかったが、電話で 「場所どこだっけ?」「俺は何時に行けばいいんだっけ?」と聞いてくる。おいおい、そこまでこちらの 手を煩わせるか。ここまではさすがに予想外だったが、それでも筆者は佐取を信頼して 絶対の自信を持って司会に送り出した(筆者が直接送り出すものではないが、そういう 気持ちだった、ということ)。そしてしっかりと司会の役割をこなしてくれたと思うし、 パーティー自体も大盛況だったことで準備に携わった筆者としても満足だった。

20才台も後半にさしかかった某年夏、やはり高校の野球部の同期であるK.Sの紹介で 筆者はとある女性と会うことになった。K.Sも佐取も既婚であり、筆者も含めて独身者が 同期の中でもだんだん減り始めている時だった。約束の日を前にして、 たまたまなのか意図的なのか、佐取とK.Sが会う機会があり、筆者の話をしたらしい。 佐取の言葉の中に「あいつ(筆者)も悪いやつじゃないし、(女性について)なんとかしてやりたいよね」 みたいなものがあったらしいことを、K.Sから伝え聞いた。結果的にこのときに紹介して いただいた女性とはいい方向に話はまとまらなかった。わりとすぐに同期で会う機会が 会ったときにその話になり、今回の件だけを指したわけではないだろうが、 佐取は筆者を「努力不足」と言った。いい思いはしないが悪い思いもしなかった。 人が人を努力不足と評することは、実はなかなか難しいと思う。努力をしていないことを 証明するのが、実はなかなか難しいことだと思うからだ(努力して結果が出ないのか、 努力せずに結果が出ないのかは、過程をよく知らないと判断しづらいと思うから)。 佐取が筆者の努力不足を証明できるかどうかは微妙なところであるが、10年以上にわたって 筆者のことを知っているし、実は言い得て妙と言うか、当たっている。 佐取だから言えた、佐取に言われたから悪い思いをせずに受け入れられた。 その年の翌年の年賀状では「今年は陽三の年にしようぜ!!」と書かれていた。 別に、佐取が何かをしてくれるという意味とは思っていないし、それを期待している わけでもないが、気にかけてくれていてうれしい。

無二の親友でもない。表と裏、陽と陰、師弟関係、上下関係、そういったペアリングとも違う。 こちらはよきパートナーとは思っているが、向こうはパートナーとすらも思っていないかもしれない。 お互いがお互いをねぎらったり尊敬の意を表したことも ほとんどなかったかもしれない。二人で飲んだり遊んだりするような、個人同士の 強いつきあいがあるわけでもない。それでも、たまたま性格的にお互いを補い合うような 形がちょうどよい二人であったこと、共有できる高校時代の思い出をお互いが持っていることなどで、 現在の両者の微妙な信頼関係を保っている。ただし、性格の相補的一致と思い出だけで 形成できるものでなく、そこに "時間"、それも10年を超える時間という要素が挟まっていた おかげで形成できたものと思う。10年後の部長顧問のひとことがあったからこそ、信頼が深まった。 そのことを非常に興味深く思うし、筆者からすれば他に例のない形の大事なパートナーである。 これからも妙な釣り合いを保ったまま、このパートナーを大事にしていきたい。


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