陽三の「今週のひとりごと」集
(平成16年分)


平成16年12月28日 --振り込め詐欺--

「旅行」とも「観光」とも、多少趣旨は異なるのだが、1月に国内の比較的遠方に 行く予定があって、ツアーの予約をした。往復の飛行機に滞在中のホテルがついて、 滞在中の行動は自由で、ひっくるめて○○円、みたいなヤツ。インターネットで 検索して、聞いたことのある会社名の提案しているツアーを見つけ、掲載されている 電話番号に電話して予約した。

この手の予約のわりには、実は期日がわりと迫っているらしく、いろいろと 急がされた。午前10時から電話受付開始とのことで10時半ごろ電話。 電話したのは日曜日だったのだが「本日の午後1時までにお近くの銀行のATMから 料金をお振込みください。」「(本日は日曜日で)受領確認が明日になってしまいますので 今日の午後3時までに入金明細書のコピーをFAXしてください。」といった具合。 予約の前の質問で、滞在ホテルが「残り1室」と言われていたのもあって、 すべてを先方の言う通り、手早く進めないと予約が成立しないのではないか、 との思いも交錯する。自分もその日正午から野球の練習の予定があったこともあって、 早急に振り込んでFAXも送った。そこまでで一安心したのだが、この手の話は どこかで聞いた覚えがある。

そもそも日曜日で振込み確認もできないのに午後1時までと時間指定されるのも よくわからないし、電話の受付は18:30までやっていて、誰かしら人はいるだろうに 午後3時までにFAXを強制されるのもよくわからない。今回の場合は電話はこちらから かけていることと、先方も社名や担当者名を名乗っていることで、一般に言われる 詐欺よりは安心感は高まるものの、インターネットのウェブページから、 ツアー内容・受付電話番号まで全部が詐欺のためのものならば、 やはり相手が1枚上手である。

野球の練習から帰宅したら、なにやら一連の書類が数枚のFAXで送られてきていた。 ただ、航空券を年内には送ると電話で言われたので、 それが届くまでは本当の安心は訪れないかもしれない。


平成16年12月20日 --人づきあい--

先日、とある野球人と飲む機会があった。野球を通じて知っている人では あったが、飲んだり話したりするのは初めてみたいなもの。新鮮であったのはもちろんなのだが、 試合の中のワンプレー、1球、一つの作戦、そういったものについて深く 掘り下げてお互いの意見を交換し、考察しあうことができた(「ワン」「1」「一」を 使い分けていることにあまり意味はない)。野球人にもいろいろなタイプがおり、 それぞれ歩んできた道も異なる。だから野球の話をするにしても人によって いろいろな話になるのは当たり前なのだが、今回はこういう、筆者好みの話が できる相手と一席設けてもらったのは、とてもうれしかった。純粋に、野球談義が楽しかった。

今週はこの他にも野球関係の会合が1件と、高校同期の結婚式2次会があったりした。 今年ももう終わりかけているが、今年はいろいろな人といろいろな形で、飲む機会、語る機会が あった気がする。職場の同僚を先輩・後輩問わず一人ずつ呼び出しての "陽三と二人で飲む会" や、フランスで1度だけ会った日本人たちと1年ぶりに新宿で再会する "Sens, Again"、総勢150人出席の高校野球部関係のパーティーなどもあった。 この1年、人との関わりの点では「興味深い」という意味でとてもおもしろかった。


平成16年12月6日 --回忌--

なんで若田部が1億円なんだよ? 2軍ですごく勝ったのは知ってるよ。 でもそれに金を払っているわけじゃないだろう。複数年契約で、 毎年金額が変わらない契約になっている? じゃあしょうがないのか。 で、本人は世間になんらかの形で返してるのか? いくらなんでも還元しなくちゃ恥ずかしいだろう。鈴木尚の2億2000万円現状維持もしかり。 清原の4億5000万円に至っては言うまでもないか。(あるいはバッシングに耐える精神力に 対する対価か?)

さて、少し前に筆者の母方の祖父の13回忌を来年1月に行うと連絡があった。 来れたら来て、というかんじ。年明けということで、野球の都合がまだ不透明なので 返事は保留していたが、不思議な事実に、筆者は少し前から気づいていた。 平成6年1月に亡くなった祖父は、来年1月で亡くなってまる11年である。 ○回忌、は周年から1を引いた年(数え年?)で行うとしてもまる12年たたなければ ならず、11年でやる理由を見つけられない。地域的・宗教的解釈で11年でやる 場合もあるのか、あるいは親族の都合で前倒しにしたのか...などとも考えていた。 そもそも出席できるかもわからないので、しばらく放っておいたのだが、 先日実家に電話して13回忌の日程の確認をしたついでにそのことを聞いてみた。 どうやらちゃんとした理由はなく、祖母が「来年やる」と言い出してそのまま 流れてきているらしい。さらに確認してもらうと、祖母も年を数えまちがえた上に 親族の誰もまちがえていることに気づかなかったと言う。かくして「陽三のひとことのおかげで」 中止になった。おいおい、もう少し丁寧に考えようよ。そもそも大ざっぱな 人が多い家系とは思っていたけれど。細かいことにも口うるさい祖父が怒ってるよ、たぶん (野球優先だった筆者が言えた立場でもないが)。


平成16年11月29日 --優勝--

「結果が出ない」とずっと嘆いていた自分の野球で、とある結果が出た。 「優勝」と名のつく結果である。すべてを最初から説明するのは困難なので ごく一般的なことだけを説明すると、同じような立場で一つの組織(枠の中)に属する 硬式野球のクラブチームが神奈川県に12チームあって、その12チームで トーナメントによる野球の大会をやったら筆者が所属するチームが 優勝した。そもそもどの程度の野球のレベルなのかを野球に携わっていない 人に説明するのは困難なので、この優勝自体にどれだけ価値があるのかを 説明するのはなお困難なのだが、限られた小世界の中で自分たちが 目指した結果を実現して、自分たちが納得して大喜びしたことは事実である。

「負けてばかりの野球人生」と過去にこの場で書いた筆者の野球人生だが、 優勝と名のつく結果はこれが2度目である。1度目はちょうど10年前の大学2年次。 と言っても所属する大学リーグで2部から3部に転落したあとに3部で 優勝したものであり、それこそ優勝の価値を説明するのが困難である。 まあ、いずれにしても自分としては10年ぶり2度目だった。

少ししてから、両者に何か共通点はあるだろうかと考えてみた。 優勝するに至るまでがいろいろな意味で苦しく、特にどちらもたまたま優勝の 半年くらい前に苦悩のピークがあったことは共通しているかもしれない。 自分だけはチームのことを過小評価というか、ビクビク心配したりもしていたけれど、 ナインは実は頼もしくてしっかり結果を出してくれた、 というのも少し似ているかもしれない。あとは、10年前のときは優勝した当日は何もなく、 入れ替え戦で勝って2部に昇格したその日に急遽飲み会があったが、 今回も似たようなこと(急な飲み会)は起こった。それくらいかなあ。 チーム構成も、やっている野球の意味も、あるいは筆者自身の感じ方も 異なるので、そうそう共通点がなくても不思議はない。

などと思っていたら思わぬところで同じことが起きた。 10年前の2部昇格時の祝勝飲み会のとき、当時実家で家族と同居していた 筆者は、外出先から母親に対して「今日の夕食はいらない」という 電話をした。2部に上がったので飲み会をするという旨を伝えたときに、 普段筆者の野球にそんなには興味がない母親が「よかったわね」と 言ってくれたのを覚えている。10年たった今回、今は親元を離れて 一人で暮らす筆者に対して、心配性の母親は用がなくても週に1度 くらい電話してくるのだが、優勝した翌日に電話してきたときに、 優勝した事実はこちらから伝えた。やっぱり「よかったわね」と言われた。 それで10年前の優勝をより印象深く思い出したという気もする。 最初の優勝から10年、優勝の喜びを伝える存在として、依然として 母親(両親)しかいないというのは、大いに、大いに、 大いに、残念というか不本意ではあるのだが...。

余談ではあるが10年前と大きく異なる点は、こんなささいな事実を 誇らしげに世の中に公表する場があることである。10年前は、 少なくとも筆者の周囲の環境にはインターネットは普及しておらず、 所属する野球部もホームページを持っていなかった。今は所属するチームの ホームページにしろ、この場にしろ、公にはできる。 自分はともかく、進化しているところは進化している。 そうそう、変わらない自分という意味では、決勝戦8回裏に8点を取って大逆転した場面で 泣きそうになった気がするが泣かなかった。連続泣かない記録がまだ続いてしまっている。

優勝の雰囲気に乗せられて、思うままに脈絡なく書いてしまった。


平成16年11月23日 --命--

先日、飯能で大学生の野球の試合を見た帰り、ある大学のN助教授に車で立川駅まで送ってもらった。 その途中、西多摩地区にてとある墓に寄った。N助教授のゼミの教え子で在学中に亡くなった方がおり、 その人の墓があるという。筆者はN助教授とはかれこれ10年弱の知り合いになるので、 亡くなった教え子がいることは知っていた。筆者が認識している人と同一の人かは確認していないが、 おそらくはそうだろう。大学3年生くらいのときに重い病気で亡くなったと認識している。 その彼は生前に個人ホームページも作成しており、闘病記みたいなものも載せ、自分の写真も 載せていた。そして亡くなった直後のゼミのホームページの掲示板で同期なり先輩なり後輩なりの、 大変多くの仲間たちが次々に悲しみの言葉を書き込んでいたことが筆者として、非常に強く 印象に残っている。筆者が直接知っている人ではないが、あとあと闘病記および仲間の言葉の ホームページを見て、泣きそうな気持ちになった覚えはある。

その彼の(と思われる。確認しとけよ)墓に行った。半ば山道みたいな細い道を車で登っていく。 ちょっとした山の中腹みたいな場所。そんなに大きい墓地というわけでもない。 その中にひときわ立派な墓があった。実家も近いらしく、この辺りにしたのだろう。 やけに新しくきれいである。まだできて数年と聞かされた。そうか、先祖代々の墓ではなく 彼のための墓に入ったのか。そして、花も新しいものが生けてある。たまたま誰かが 来たばかりなのかと思ったら、たまたまとも違う。親御さんが今も毎日来ているという。 そして、「ここはねぇ、景色がいいんだよ」と言われた。山の中腹辺りの高さから やや見下ろすかんじ。方角的には彼の通っていた八王子市内の大学の方向に、墓が向いているという。 石碑には音楽が好きだったという彼が作詞・作曲した歌が彫られているという。 すべて彼のための空間なのである。ただし、逆にそれが悲しみ・さびしさを倍増させた。

墓については、おそらくは親御さんの思いでこういったことになっているのだろう。 また、亡くなったときの仲間の言葉や、墓も大学を向いていることなどを総合的に考えると 彼自身が大学なり仲間なりを愛し、また彼も愛されていたのであろうことは想像がつく。 そうであったとしても、やはり残念なことに、本当に残念であろうとは思うのだが、 事実として本人はいない。そんなことを思うに、ごく当たり前のことではあるが「死んではいけない」と感じる。

筆者の存在がなくなったとして、実務的な意味で困る人はそれなりの人数、いるかもしれない (仕事に一時的に穴が開く、○○のホームページが更新されなくなった、等)。 でも、今回の彼ほど大きく深く悲しむ人がどれだけいるだろうか、とも思う。 他人と比較する必要はないのだが、仮にそれがほとんどいなくても、やはり「死んではいけない」は 正しい考えと思いたい。

仕事も順調には進まなかったりする。野球で結果が出ないのは相変わらず。 よかれと思ってやったことを批判されもする。存在を「いらない」とも言われたりする。 急に電話に出てくれなくなった女性がいたりしたことも昔にはあったかもしれない。 もちろん、他にもっと苦労している人は多いだろうし、筆者も死ぬほど思い悩んでも いないのだが、いずれにしても "生きる" ことは大切である。それが大変でも大変じゃなくても。 そんなことは当然わかっていてよい年齢にして、それを再認識した。

12月1日を前に命について考える機会があってよかった。ただしあらためて書いてみると ずいぶん小さなことで悩んでいる自分に気づいた。まあこれも、他人と比較する必要はないかもしれないが。 他人の山口陽三評はいい。死んで他人が悲しむかどうかも、別にいい。しぶとく生きたい。

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平成16年11月15日 --食--

紀宮さまの結婚が明らかになった。特別な感想はないが、気を引いたのが女性問題評論家という 武田京子氏のコメント。「(中略)「三十歳以上、独身、子供なし」の女性を「負け犬」とする議論が 流行したが、働く女性にとって独身時代の紀宮さまは一種の「安心感」みたいな存在だったともいえる。(中略)」 そんな議論があったのか。勝ち負けのあるものではないだろうが、むりに勝ち負けをつけるならば むしろ「勝ち組」と見ることもできるのではないかと思うのは筆者だけだろうか。

人間社会では機械的な人間を表現し、コンピュータ社会(この場)では人間的な一面を 強めに出している筆者だが、今回も人間的な話を。つまらないことではあるが。

なかなか時間がとれず、自分としては食生活がバラバラである。理想としては1日3食、 朝と夜は自宅でとるようしているがこれがバラバラになった。

朝食 昼食 夕食
11月8日(月) 午前中から眠いので
昼休みを昼寝にあてる
職場近くでラーメン
11月9日(火) いつもの朝食 買った弁当 自宅で餃子(冷凍食品)
11月10日(水) うまくできなかった炒飯
(永谷園)
出先で遅めの麻婆豆腐 ホカ弁(ハンバーグ&焼肉)
11月11日(木) なし 買った弁当 王将で野菜炒め
11月12日(金) なし 寿司 自宅でレトルトカレー
11月13日(土) うまくできた炒飯
(永谷園)
野球大会で出た弁当 自宅でチンジャオロース
(永谷園)
11月14日(日) いつもの朝食 野球大会で出た弁当 自宅で餃子(冷凍食品)

※いつもの朝食:ご飯・納豆・サラダ・目玉焼き・ヨーグルト・コーヒー牛乳
※炒飯:永谷園の、ご飯と混ぜて炒めればいいもの。うまくできなかったのは炊いたご飯がやわらかかったからと思われ、自責ではないと信じたい。

その日その日は、何を食べるかを考えるのにも苦労していたが、振り返ってみると、 まあまあちゃんと食べられているか。中華が多いというかレパートリーは少ない。 「三十歳目前、独身、子供なし」、もう少し食にも興味を持った方がいいのかな。

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平成16年11月9日 --誰のおかげか--

気がまわらないうちに、Vリーグが開幕している。今年はどこが強いのか、 あまりよく把握していないが、2月の一件もあるので東レアローズ(女子)には注目はしておきたい。 あと、1度くらい遠いところに観戦に行きたい。

プロ野球新規参入球団は楽天になった。イキだと感じたのはライブドアの監督に 内定(?)していたオマリー氏のコメント。「残念だが未来へのドアを開いたのはライブドア」 (うまくまとめれば五・七・五にもなりそうだな)。

「渡良瀬橋」はそんなに深い歌だったのか。県庁所在地ロックンロールと同じような ノリの歌かと思っていたが、今回じっくり歌詞を聞いてみると、そうではない。 というか、言うほど深くないのかもしれないが、今までが内容に無頓着だった。

森高千里が10年ちょっと前に歌った歌を、このたび松浦亜弥がカバーした。 昔の歌を別の人がさいきんになって歌うのはわりとはやっているし、売れているケースも多い。 筆者にしても、ふだんほとんどCDを買わないがZARDが歌う久保田早紀の「異邦人」は 買ってしまった。それはそれとして、「渡良瀬橋」について今回、より知ることが できてあらためてよさを認識できたが、こういうのは誰に功績があるのだろうか。 歌そのものがいいのだと思うので、歌い手よりは作曲者・作詞者の功績が 大きい気がする。一方で、安直ではあるが「もう1度持ち出す」ことを 思いついた人の功績も意外に大きいかもしれない。過去から現在への橋をかけたつんく。 未来へのドアを開いた堀江社長。出来事の裏に人あり。人の世は興味深い。


平成16年11月1日 --ライフライン--

テレビ東京「ヒューマンD」で、社会人野球の西多摩倶楽部・谷沢健一監督の特集。 元プロ選手の谷沢氏である。なかなかいい番組だった。ちなみに言うと練習試合相手として 筆者所属のチームの名前も出て、筆者も背中だけ映った。それはそうと。

松坂の結婚で野球界が沸いた先週末、我が家ではお湯すら沸かすことができない状況に陥った。 (柴田倫世は筆者と同い年だったのか...)。

帰宅したら突然、水が出ない。朝までは出ていた。水道局に電話して 事情を話すと住所を聞かれた。住所を教えると、調査するから少し待ってくれと言う。 その結果「こちらではお宅の水道には何もしていません」とのこと。 で、対応方法を教えてくれた。「どこどこのバブルをひねってみてください。それで 出なかったらまた連絡してください。」とのもの。そう言われても夜で外もよく 見えず、また、こんなことも初めてであって経験もない。ようやくそれらしいものを 90°ひねってみたが状況は変わらない。変わらないどころか結果的に悪化した。 まちがえてガスの元栓を自分で閉めてしまった。しかも元に戻らない。ガスは危険だから 素人では開けられないことになっているのか...。水もガスも止まってしまった。 さながら台風・地震の被災地か。確かに数日前に日本赤十字を通して新潟に小額の募金は 送ったものの、こう言っては失礼だが、「同じ気持ちを味わえ」というのであればそれはお許し願いたい。

その日は夜から飲みに出て深夜に帰宅したので風呂にも入らず就寝。翌日は早起きで 食事もせず歯も磨かず出かけた。野球で会った仲間に水道のことに詳しい者がいて、 話をいろいろと聞いてみた。帰宅してみると、どうも、水道局がまちがえて筆者宅の 水道を止めたのではないかというかんじ。筆者宅の隣と上がさいきん立て続けにアパートを 引き払っており(筆者のバイオリンがうるさかったか?)、その水道を止めに来て筆者のところを 止めてしまったのかもしれない。2件分並んで水道の元栓があるので確かに間違えやすい。 バブルをひねって水が出た(明るかったので要領がよくわかった)。続いてガス会社に電話してみると、 まちがえてひねって元に戻らなくなったプラグ(?)はボタンを押しながら回せば 元に戻せるとのこと。ガスまで復旧した。

今回は実害は少なかったが、いざ止まってみるとやはりその大切さは感じる。 ただ、1番大事なのは電気かな。電気がないと、室内が暗いくらいは我慢するとしても テレビ・電話も使えず外からの情報が途絶えてしまう。筆者ならばパソコンを使えないのも痛い。 2番目はやはり水だろう。ガスは3番目かな。そんなことを感じることができたのは、 結果的にはいい経験である。


平成16年10月26日 --笑い--

いやあ、日本シリーズはおもしろかった。シリーズ全体の流れがどっちにも 行きかけて、でも完全には傾かずに、というかんじで一進一退。どちらが勝っても おかしくない、切磋琢磨した戦いが見られたと思う。

先日、ひさしぶりに全力で笑った。テレビ東京で月曜日の夜24:10ごろ(正確には 火曜日の0:10になるか)からやっている「きらきらアフロ」。笑福亭鶴瓶・松嶋尚美が 出演して二人でしゃべるだけの番組だが(観客はいる)、これがとにかくおもしろい。 前からおもしろいと思ってわりと見ていたが、先日は本当に笑って、涙が出そうになり 息も詰まるかと思った。ここ1ヶ月くらいは精神的にもギリギリというかいっぱいいっぱいの 状況が続き、周囲でもいろいろなことが起きて笑うこともそんなになかった気もする。 1ヶ月に限らなくても、若くもない年齢になったせいか、日常でここまで笑うことはさいきんない。 貴重な番組である。


平成16年10月18日 --倉野信次--

野球のために会社を数日休んでしまったが、いろいろ得がたい 経験もすることができて有意義に過ごさせてもらった。

プロ野球のダイエーホークスに倉野信次という投手がいる。今年のペナントレースで 9勝1敗の好成績を収め、西武とのプレーオフ第2ステージ第4戦、負けたら終わりの 1勝2敗の場面で好投してチームを勝利に導いた。プロ入り8年目の選手で、 これまで登板がなかったわけでもないが今年大ブレイクしたと見てもよいだろう。 その倉野投手と偶然遭遇する機会を得た。

筆者が現在所属する社会人野球クラブの「相模原クラブ」は4年連続で、10月に 三重県伊勢市で行われる伊勢神宮奉納野球大会に出場(招待出場?)している。 そして毎年常宿として宿泊しているのが「倉野屋」という料亭旅館(?)であり、 ここが倉野投手の実家なのである。今回はダイエーがオフシーズンになって倉野投手が 帰省するタイミングと、我々が大会のために倉野屋に宿泊するタイミングがバッチリあった。

我々相模原クラブが倉野屋に宿泊していることのみならず、筆者は倉野投手とそれなりの 関係は感じながら、一応気にかけてはいた。と言ってもすべてはあとづけのような関係 ではあるのだが。まず一つは彼と筆者は同期にあたることである。と言っても高校の 県も違えば大学のリーグも違うので、あまり関係はないのだが、大学のときは倉野投手の名前は 知っていたし、特に大学4年次のドラフトは、倉野投手以外にも東都リーグなら井口・沢崎・黒田・今岡ら、 首都リーグなら森中、東京六大学なら三沢ら、なかなか粒ぞろいの同学年たちが関わったので、 なんとなく印象深い思いがある。次には倉野投手の経歴のことである。宇治山田高校-青山学院大学。 青学とは、青学の野球部が2年前から相模原キャンパスに活動の拠点を移したことで 我々相模原クラブと1年に1度の練習試合ということでおつきあいを始めている。 まあ、倉野投手が卒業したあとのことなので本人とは無関係なのだが。もう一つ、 宇治山田高校ということでいえば職場で、筆者の背後に座る後輩が宇治山田高校の野球部出身である。 筆者の5才くらい下で、年齢も離れているので倉野投手の方はこの後輩を知らないのだろうが、一応、 筆者と同じ後輩を持っていることにはなる。まあ、どれもあまり両者に関係があると言える ものでもないのだが、言いたいのは、今年の大ブレイクの前から、あるいは倉野屋に 泊まり始める前から筆者は倉野投手のこと自体は知っていたし、気にはしていた、 といったところである(倉野屋に泊まるまで、そこが倉野投手の実家ということまでは 知らなかったが)。

とまあ、そんなわけではあったのだが、いざいきなり遭遇してみると緊張してしまった。 倉野投手のお母さんが「信次! こちら、お客さんの山口さん」と紹介してくれたのだが、 いきなりのことで驚いてしまった。とりあえずは「第4戦、ナイスピッチングでした」 ということは話したと思うが、次に出てきたのが「年齢が一緒なんですよ」。 そんなことを言われても向こうも対応しようがない。そこから「青学でやってたんですよね。 僕も東京新大学ってリーグの2部でやってたんです。」とは言ってみたものの、 肝心の相模原との関わりには触れずじまい。なんだか微妙なやり取りに終始してしまった。 そんなこんなだったが、数日間の宿泊の中でもう1度会う機会があり、今度は写真撮影を お願いした。キズの多いメガネで、光が反射して光ってしまったのが後悔だが、 とにかく筆者の宝物である。(→こちら)

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平成16年10月12日 --伊東勤--

いやあ、西武とダイエーのプレーオフはすごかった。申し訳ないが横浜ベイスターズの 試合でこれだけの意識や気持ちの高さ、技術の高さはあまり伝わってこない。 もう少し言うと、巨人の試合でも華やかなホームランは見られるが、今回のプレーオフの ような、見ていて「すごい」「おもしろい」とまで思える試合はあまり見られない。 パ・リーグも捨てたものではない。やり方はある。

優勝した西武の監督は伊東勤。選手として西武黄金時代のレギュラーを長く勤め、 今年から監督になった。筆者は今年の西武の試合を見ていないが、プレーオフを見た 限りで感じた、伊東監督の特徴的な部分を書いてみたいと思う。

ひとことで言えば、各選手への信頼、というところだろうか。多くの選手を手を変え 品を変えて使って起用が当たりに当たった中日・落合監督と通じるところがある。 ダイエーとのプレーオフでエースの松坂を第2戦の先発に送った。中何日、とかいう 問題はあろうが筆者ならば第1戦である。なぜならば第2戦に使ってしまうとそのあとに 使えない(使いづらい)からである。結果的には第2戦が大勝のために早めに降板して疲労を少なくし、 第5戦に先発することができた。ただし常套ならば第1戦に先発させて第5戦にもう1度 先発させると考えると思う。第2戦先発の策をとるならば、第3〜5戦にスーパーリリーフとして スタンバイさせることは考えられる。それならわかる。しかしそうもしなかった。 これは、松坂を絶対的エースと認めるとしても、張・帆足ら他の投手陣もしっかりと 信頼していることの裏返しであろう。第5戦でも好投の松坂を6回で降ろし、継投策に入った。 ハタから見ていると、豊田はまだしも長田・星野・小野寺あたりで松坂のあとを 継ぐのは恐いのではないかとも思ってしまうが、後続の投手陣にも信頼を 置いているからこそできるのだろう。

野手の起用にしても第5戦では、プレーオフで当たっていた佐藤に中盤で代打・小関を送る。 小関が延長に入ってから決勝の走者で出塁すれば代走に高波を送る。 小関は筆者の記憶では近年まで1〜2番を打っており、走塁に難があるとは考え づらいが、より高波の方に信頼があるということだろう。選手起用が積極的なのである。 コマを最大限に利用しきる、用兵をしていると見える。 考えようによっては、代えられる方の選手に信頼がないからコロコロ代えるのでは ないかとも思えるかもしれないが、それよりは代わりに出て行く方の選手に より信頼を置いているから、というふうにとらえたい。また、単にコロコロ代えている わけでもなく、失敗があっても中嶋を使い続けたりプレーオフで不振でもなかなか 貝塚を降ろさなかったことなど、辛抱強さも見える。それも含めて結局は 「選手を信頼している」ということに行き着くのだろうし、それをやりきれるのは、 長い間現役選手としていっしょにプレーしてきたから、とも言えるかもしれない。 すべてがよいと言えるかどうかはわからないし、たまたまいい結果が出たからいいように 見えるのかもしれないが(ただし結果が重要なのは言うまでもない)、特徴的であることは確かである。

などと言っている間に今週末には日本シリーズが始まるらしい。次にひとりごとを 書くときには始まってしまっているので例年通り予想を書くならば今週しかない。 とは言え、ちゃんとした予想もできていない。似た者同士の中日と西武の対決。 3勝3敗までは行くと予想したい。最後にどちらが勝つかは、予想できない。


平成16年10月5日 --プロ野球が忘れているもの--

パ・リーグのプレーオフが始まっている。先週は第1ステージと言われる対戦があり、 レギュラーシーズン2位の西武と3位の日本ハムが対戦した。2勝先勝の第1ステージは 1勝1敗で第3戦にもつれこみ、第3戦も9回表に日本ハムが2点ビハインドを追いつけば その裏に西武がサヨナラホームランで勝利、という試合で大いに盛り上がった。 この制度を取り入れる際には、確か「3位でも優勝(日本シリーズ進出)してしまうこと」 に異論を唱える向きがあった気がするし、筆者自身も手放しで賛成というほどでも なかった気がするのだが、盛り上がりぶりを考えると結果的には大成功だろう。 ダイエーと西武の第2ステージがまだこれからではあるが、まずプレーオフ進出を 賭けて日本ハムとロッテの一進一退の攻防で盛り上がり、そして第1ステージも 盛り上がった。例年のシーズンで今回の展開ならば少なくとも日本ハムとロッテの 終盤の試合は消化試合となっていたものを、これだけ世の注目を集めておそらく 観客増にもつながったであろうから、企画として大成功である。

筆者は第1ステージ第3戦をテレビ観戦した。試合の決着の仕方が劇的だったことも さることながらそれまでの、中盤戦の両チームの1点をめぐる攻防というところに 非常に興味をひきつけられた。どちらのファンでもない単なる野球好きの筆者が ひきつけられた理由、それは目の前の戦いが「"負けたら終わり" の戦いだから」 という理由ただ一つと言ってもよいのではなかろうか。だからこそ両チームは 全精力を賭けて目の前のワンプレーにこだわり、また、見る方もそれが見られるから 熱が入る。

似たことは今年、別の場面でもあった。アテネオリンピックでの野球である。 これも予選リーグはトーナメントではないながらなんとなく「負けてはいけない」 の使命感を選手は背負って観客もそれを期待する。そして決勝トーナメントに 進んでからは本当に「負けたら終わり」の戦いである。だからこそ選手は必死 になれるだろうし、見る方にもその必死さが伝わってくる。

筆者個人としても「負けてはいけない」「負けたら終わり」の試合の観戦というのは好きである。 アマチュア野球のトップレベルの方から言えば、前にもこのコーナーで触れているが 都市対抗野球の予選などはそれに当てはまる。本選もトーナメントなので 負けたら終わりだが、本選に出るか出ないかの予選というものに非常に興味をひかれる。 高校野球の予選も同様なことが言えよう。大学野球ならば入れ替え戦である。 そもそも世間の関心の薄い大学野球、しかもその全国大会ではなく各連盟の 入れ替え戦。中には野球のレベルそのものとしては決して高くもない試合も あるものの、「負けてはいけない」ことがこれほど明確な試合もない。 これにも非常に興味をひかれる。あとは大学野球で言えば、前にも書いた、 創価大と流通経済大の対戦も好きである。たいていが「勝った方が優勝」という カードとなるのだが、それを差し引いても「負けてはいけない」雰囲気が双方にある。 それはもう、世間や周囲がどう思っても関係がない。当事者が「創価大には」 「流通経済大には」負けたくない、それだけのことである。でもそれを感じる このカードは大変興味がある。

いろいろなことで揺れた今年のプロ野球。悪いところやイヤな面も一般に周知 されもした。このままではいけないという意識はなんとなく多くの人が持ち始めたとも思うが、 一因として「負けられない」雰囲気をあまり感じないことがある気がする。 日常のリーグ戦だって選手たちは負けられないつもりでやっているだろうし、 目の前のワンプレーにこだわってもいるだろう。だから、もしかすると見る側の 意識も変えないといけないのかもしれない。ただし、見る方にしてもやる方にしても 「明日も試合があるから」ということでの、どこか目の前の試合に全精力を かけづらい雰囲気は感じていると思う。リーグ戦というやり方は非常に多くの 要素を含み、おもしろみや難しさもあり、総合力としてのチーム順位を決するに 適したやり方であることは否めない。だから制度として何かを変えるのはなかなか 難しいとは思うが、「負けられない」の雰囲気が欠けていることは欠けている。 レベルはともかく、社会人野球にも大学野球にも高校野球にも、それはある。 プロ野球が揺れた今年にたまたま実施されたオリンピックとプレーオフ。 これがなんらかのプロ野球盛り上がりのヒントになることを期待する。


平成16年9月28日 --プラ--

川崎フロンターレの1部昇格のことにでも触れれば、川崎市に勤務している者 としては好ましいだろうか? サッカーのことはあまり詳しくないし、 フロンターレにもあまり興味はないが。"昇格逃しのスペシャリスト" を 切っておいて(クビにしておいて)よかったな。

さて、筆者の住む地域で10月からゴミを少し分別して捨てることを試験的に 始めるらしい。前にこのコーナーで横浜市のG30活動については少しだけ触れた (もっとも、該当する話題の主題はG30ではなかったが)。10月からいきなり 始まっても対応に困るかと思って、少し早めに自分として分別してみた。 これまでにも牛乳パックと食器トレイ(?)はスーパーへの返却、新聞紙等の紙は 子ども会の古紙回収(子どもよ、ありがとう)に出していたので、いわゆる "ゴミ" としてひとくくりにして自分が出していたのは、食品等の袋等として 使われるプラスチック製品や生ゴミやサランラップ等だった。

新しい分別では、とりあえず「プラ」と表記されたプラスチック製品はひとまとめで よいらしいので、これ用のゴミ袋を一つ作ってみた。「プラ」にも厳密には 材質の種類の違いがあるようなのだが(PEだとかPPだとか?)、とにかくひとまとめで いいらしいのでひとまとめにする。そうすると、意外や意外、けっこうな量が 「プラ」に分類されるではないか。ちゃんとは量っていないが、1度のゴミ捨てで 捨てていた量が、重さにして半分くらいになり、もう半分が「プラ」の方の ゴミ袋に入るような結果となった。おいおい、これならば30%減どころか、 我が家だけなら50%減を達成できるぞ。

「プラ」に分類されたものが100%再利用できるのか、そうだとしてどれくらいの コストがかかるものなのか、果たして何に再利用されるのか、よくは知らないので ゴミの重さだけで議論するのは早計にも程がある。それにしても、企業の方も相当 努力して、雑多な小物を再利用可能な「プラ」にするように動いていたのだろう。 おもしろいし、うれしい。「G30」、筆者も遅まきながらできる範囲で参加する。


平成16年9月20日 --信頼--

雑文-1:4000人から12人を選べばさすがにけっこうきれいか(女子十二楽坊)。一人、南果歩いるだろ?
雑文-2:昨年11月のこのコーナーで女子全日本バレーボールのメンバーに辻知恵選手が選ばれていることについて コメントを書いたが、先週の「週刊文春」で辻知恵選手についての特集みたいな記事が掲載されていた。 柳本監督が選出した理由として「主将の吉原と同期であること」「(所属チームでは)コーチ兼任でもあり、 また母親でもあること」などが挙げられていた。そしてチームメートからも慕われていたらしい。 そして、結局プレーヤーとしてアテネのコートに立つ(試合に出場する)ことはなかったとのことである。 たまたまかもしれないが、筆者が予想していたこととけっこう当たっている。うれしかった。

さて、雑文はそれくらいにして、プロ野球のストライキである。筆者はもともと賛成の意見であって、 実際にストライキが行われたあとも考えはあまり変わらない。それはそれとして、最終的に双方の議論の 分かれ目となった点については少し不思議なかんじがした。選手会が要望した「近鉄を残す」こと、 それが経営事項として決定済みという理由でくつがえらず、次に選手会が譲歩したのが「12球団維持」である。 ここまでは自然である。ところが最終的に新規参入に向けての努力を「2005年からの参入」「2005年以降の参入」 どちらに対して行うかで意見が割れたという。

選手会側が、1度1球団減って11球団になると削減への拍車がかかることや、もちろん自分たちの雇用のことも 懸念するのはわかる。経営者側も、2005年以降努力するなら来年に向けても努力してくれてもいいではないか、 とは選手会だけでなく一般のファンも思うだろう。そう考えればここを焦点として議論が分かれるのはわからない でもないが、当初の話から考えると「2005年か2005年以降か」という落としどころは、"意外感"がある。 逆に、2005年以降とは言え、経営者側が努力すると言うならばそれはそれでよく、1年は我慢するということで 選手会もなにもストライキまでしなくてもよいではないか、という考えも出て来やすい(筆者はそうではないが)。

選手会がこれを受け入れられなかったこと、そしてわずかな文言の違いが分かれ目になったことは、 結局双方の信頼関係が大きな要因であろう。1回目のストライキを回避した際、選手会は「経営者側も一定の歩み寄りがあった」 と判断したものの、ふたをあけてみれば「認識が違う」とかいうことで流されてしまった。経営者側は 話をうやむやにしながら選手会の要求をもみ消すつもりなのではないかとも勘ぐってしまう。 2005年以降などということにすると、うやむやのまま努力もせず時間を過ごし、ほとぼりが冷めたころに 「努力はしたけどダメだった、ゴメンね」で話が終わってしまうのではないかという懸念を、 選手会が持ったとしても不思議はない。不誠実で一般感覚のない経営陣を、選手会は信用できていないのだと思う。 問題は2005年か2005年以降か、ということよりももう少し深い。

一般的に言えることと思うが、信頼のない相手に言われたことは正論でも信じられなかったり裏があるのではないかと 勘ぐってしまうことはあるだろう。逆に、愛する人や尊敬する人の言うことならば多少おかしなことでも 信じてしまうこともあると思う。今さら筆者が言うことでもないが、信頼感は、人生・生活の中で わりと重要度の大きいファクターである。


平成16年9月13日 --戦う選手会--

プロ野球の再編問題が、日々動いている。選手会が条件を出して「認められなければ ストライキ」としてようやく球団側との話し合いの場を持つことができ、 双方多少の歩み寄りがあったということで先週末のストライキはひとまず延期された、 というのが現状である。ただしこのあとどう進むのか、まだ予断は許さない。

ストライキの是非をめぐる議論が、あちこち(のテレビ局)で行われ、新聞やテレビも 世論調査も行っているようである。FAXや電子メールで意見を受け付けている番組もある。 ストライキを支持する声が比較的優勢かとも感じるが、反対する声も無視できない程度はある (数としても質としても)。難しいところだが、ここは「賛成」を支持することが 妥当と筆者は判断する。

プロ野球を場とするゲームのプレーヤーとして誰がいるか? 「コミッショナー」 「球団経営者(オーナー)」「リーグ」「選手」「ファン」等は少なくとも考えられるだろうか。 これらのプレーヤーが今回のような大きな問題を議論するとする。ところがこのときに 意味をなさないプレーヤーがいる。まず「リーグ」は結局各球団オーナーが集まって 事を進めているようなので「オーナー」と同一ととらえる(とりあえず)。 「コミッショナー」には、こういうときこそ権限を発揮して議論をリードしてほしい 気はするが、現状、どういう立場でどういう権限を持っているのかがいたって 不明確であり、オーナー陣の言いなりなのではないかとさえ思える。「ファン」は 非常に大事なプレーヤーであり、これがあってこそ全体が成り立っていることは 否定はできないのだが、一つの組織として固まっているわけではないので、 議論に参加するすべがない。結局、このゲームにおけるプレーヤーは「オーナー」と「選手」 しかいないのである。(ゲームという言葉を使っているのは、 話を遊び半分に冷やかしているのではなく、「場」という意を表すために使っている。)

「オーナー」がごく普通の感性を持ち、世論に耳を傾ける用意があり、多くのファンが 納得できる形を目指すことができるならば「選手(選手会)」だって今回のような 行動には出ていないと思う。ところがオーナーがそれをできない。そうすると、 コミッショナーを頼れず、ファンがゲームに参加できない以上、選手会が世論なり ファンの声なりを代弁しないことには、どうしようもなかったのである。 今回のプレーヤーの中で、唯一普通の感性を持って、野球界の行く末をいい方向に 持っていこうとする意志があったのが選手会だったということである。

そう考えていくと「合併の問題は選手の雇用を脅かすまでのものではなく、合併凍結は認めない」 (裁判所)、「雇用を保障しているのになおストライキをすると言うならば、違法ストとして訴える」(オーナー)、 「経営の問題に選手が介入することはできない」(オーナー)、「選手は野球をやることが 仕事であるから、ストライキではなく野球を」(一部のファン)、等の声も 少しずれていることを感じる。これらは個別の意見として正しいかもしれないが、 問題の本質からずれているというか、問題のすり替えと見えなくもない (むろん「たかが選手が」「数億円ももらっている人間を労働者と言えるのか」の発言は論外である)。 選手会は自分たちの雇用や労働条件のことを議題として団体交渉を求めたわけではない。 もちろん、まったくないわけではないだろうが、要求項目の中にもドラフト制度や経営の透明化等の ことも含まれていることからわかるように、要求の本質はプロ野球界全体を いい方向に(健全な方向に)持っていこうということである。ただしそのためには 問題も山積しているので時間をかけて議論する必要があり、その時間とテーブルを 用意してくれと要求していたものがなかなか取り合ってもらえず、結局テーブル 一つを用意するためにストライキという方法を選択するしかなかったのである。

ストライキに反対の意見を述べる人がいるのはわかるが、それならば責任は ストライキを実行する(しようとする)選手会ではなく、一般の感性を持つことすらできず、 世論に耳を傾けることもせず、選手会(選手およびファンの声の代弁者)との話し合いの テーブルも用意しなかったオーナー側にある。 ここまで追い詰められなければオーナー側が動けない現状では、 筆者はストライキには賛成である。(非反対というか賛成せざるを得ないというか)

そう言えばこの一件について小林至がなかなかいい文章を書いている。 興味のある方は こちら


平成16年9月7日 --故障の予防--

選手会事務局の松原さん、寝てないくらいに忙しいのではないか? 古田も大変だろうが。 ちなみに、松原さんという方とは、直接の知り合いではないが、会って少しお話したことはある (と思う)。向こうは覚えているはずもないし、筆者も何を話したか覚えていない。

今年の夏の高校野球の神奈川県予選は、横浜高校の優勝に終わった。 そして準優勝に終わったのが公立のK高校。もともとそれなりに強い高校ではあるし、 14年前に準優勝の経験もある。ただ、今年はノーシードで大会に臨んでいたことも 考えれば、今回の準優勝について大健闘と言っていいだろう。筆者はこのチームの 試合は1試合も見ていないが、SとGという左右の両2年生投手の継投を軸に、 堅い守りと効率的な攻撃で、勝ち上がってきたらしい。優勝には届かなかったが 躍進に貢献した両エースがまだ2年生。次の春のセンバツや来年の夏の大会に向けて 楽しみであると見るのは妥当だろう。ところが来春のセンバツの可能性はあっけなく消えた。

新チームになって最初の公式戦が8月末の地区予選。4チームで1ブロックを構成し、 上位2チームが県大会に進出できる。K高校はS・Gの両投手の登板なしで県大会出場を決めた。 その戦いぶりはしっかりとはリサーチしていないが、チームの持つ地力を考えれば 県大会出場までは何も驚かない。しかしその県大会で初戦敗退した。 相変わらずS・Gの登板がない。温存ではなく、両投手ともに故障中ということのようである。 背番号20と21をつけてベンチから見守ったというのが切ない。

神奈川県では夏の予選でベスト8以上、くらいで試合後に全選手のメディカルチェックを 行うようになったと聞いている。おそらく数年前からである。過酷な日程の中で 勝ち進み、「どうしても甲子園へ」という思いの中で、体に変調をきたしても 無理をして試合に出場し、かえって野球選手としての選手生命を短く(あるいは終わらせて?) しまうことを懸念して高野連が取り入れたらしい。スポーツ医学の専門家が 診察をし、体に異変があれば本人(および親?)にその旨説明し、「無理をして甲子園に 行けるかもしれないけれど行っても出られないかもしれないよ(甲子園は甲子園で チェックがある)」「甲子園だけではない。このあと大学や社会人で野球を続けられる かもしれないのにその可能性も断ってしまうよ」といったことも含めて相談を するという(無理をさせないという意味であり、ドクターストップをかけるという 意味ではないと思う。症状にもよるが、あくまで最後は本人の判断だろう)。

そういったシステムが確立しているらしいのだが、今回のK高校のS・Gについて はたしてどうだったのだろうか? 特に今年は猛暑である。ピッチャー一人で 大会を投げ抜いたわけではなく、二人で分業したとはいえ、おそらくは二人ともほぼ 全試合に登板しているだろう。メディカルチェックで変調を見つけられなかったの だろうか? あるいは見つかっても本人が投げると言ったのだろうか? あるいは故障は大会終了後か? まだ2年生であり、2度の甲子園の チャンスがあり、また、比較的現実的な可能性でもあっただろうと思う。 メディカルチェックで見つけられなかったのであれば残念である。 残された甲子園のチャンスは来年夏の1度。復調して、最後の夏に臨んでもらいたい。


平成16年8月31日 --月曜日の酒--

ふだんあまりないことだが、今週は月曜日に飲酒する機会があった。 職場の飲み会だった。さいきんあまり飲んでいなかったこともあって 楽しみだった。日曜日の夜に「また明日から仕事か...」と軽い憂鬱感を 感じることもあるが(感じないこともある)、逆に楽しみに感じられるのならば 月曜日の飲み会も悪くないとも思った。

ただ、帰宅して眠かったので何もせずに眠り、翌朝にシャワー。 洗濯物、朝食の食器洗い等もほったらかし、すべてそのままの状態で出てきた。 週の始めからやっぱり軽く憂鬱である。


平成16年8月23日 --スポーツもろもろ--

(公開にあたって内容を一部編集)


平成16年8月15日 --野球人いろいろ--

富山商のホーム突入、千葉経済大附のキャッチャー、タッチしてねえだろう。 アウトでいいのか? なんとかならないのか? 1-0で決まった試合だぞ。 一方で0-1で追う富山商の9回2死、地方大会から試合出場のない主将を代打で出すか? さて、それはそれとして。

すごい人・佐々木

抑えに失敗した佐々木が引退を表明したと報道されたが結局現役を続行する模様。 ぜひとも続けてほしい。

佐々木のすごいところは精神力だと思う。前にこのコーナーで高津のすごいところとして やはり精神力を挙げたが、同じことは言えると思う。今季の佐々木、いろいろな 意味で大きな注目を浴び、大きなプレッシャーを受けての開幕だったと思う。 受ける期待は計り知れず、もらった年俸もものすごく高い。 また、全盛期のすごすぎる実績もある。簡単に打たれでもしたらいろいろなことを 言われ、思われるだろう。そこにもってきてキャンプからのケガでなかなか 調整も進まないという事情まで重なって、大きなるプレッシャーはあったことと 思うが結果的には自分で不安をはねのけた。 直球のスピードであるとか奪三振率といった数字に表れるもの、また、 画面等で見るフォークボールのキレ等、全盛期より落ちてはいるだろう。 それでもここまで(連続失敗が起こるまで)抑えてきたのは、 球の力とか過去の実績とかいうことよりも、尋常でない精神力のおかげだろう。 その強い精神力を持つであろう佐々木でも引退をほのめかしたというから 相当のショックだったのかと思ったが復活を目指してがんばるようである。 その精神力にあらためて敬服するとともに再度の活躍を期待してやまない。


大変な人・古田

ヤクルトのチームリーダーである古田。優勝をまだあきらめずに戦っていく チームをひっぱる一方で、球界全体を揺るがす、プロ野球再編問題に 選手会の会長として取り組んでいる。これまたすごいことだ。よくがんばっている。 また、大変とは思うが、がんばってほしい。古田の(選手会の)言い分に、 多くのファンは納得できていると思う。それにしても、多才な人、有能な人には 仕事が集まるものである(野球人のみならず)。さいきんの会社員としての筆者には... やや集まる仕事が減ったかな? まあ、それはそれとして、古田だが、 プレーヤーとしての技術はさることながら、選手会長としての今回の 一連の言動を見ていても、やはり頭のよさというのは随所に感じる気がする。 野球界にいるからそう見えるのかもしれないが、いずれにせよ野球界において 稀有な存在であることはおそらく間違いなく、ここに大きな仕事が舞い込んで しまったのも運命かもしれない。中畑や岡田らが選手会長だった時代にではなく、 古田が選手会長である時期にプロ野球再編問題が起こったのは何かの縁かもしれない。 プロ野球界のためにぜひがんばってほしい。


しょうがない人・中畑

アテネオリンピックが始まった。野球の種目でどんな結果が出るのかは 当然気になる。

長嶋監督が病に倒れるなどということは誰しも予想はしていなかっただろうが、 それにしても残ったスタッフが役不足だと、筆者は感じた。プロ選手の中でも トップレベルの選手をまとめて率いなければならない監督、そのポジションに 長嶋を置いたところまでは理解できるが、その存在が大きかったからこそ、 コーチ陣に余分なカリスマ(?)を置かないようにしたのであろう。だから 長嶋監督の病気は予想外であることに加えて非常にダメージは大きい。 本人がアテネに行けない場合に備えてどうするのか、水面下(と言っても夕刊紙のうわさレベルだが)では 「野村」「星野」といったプロチームの監督経験者である "大物" の名前も挙がったようだが、 結局は中畑を代理監督として戦うことになった。

中畑では役不足の感は否めないが他に大野・高木しかコーチに選ばれていないならば 選択としては仕方ない。そもそもが大野はともかく、技術でなく精神面の解説しかしない中畑や、 黒江の本でコーチとしての資質を厳しく批判された高木あたりがなぜスタッフに入って いたのかが疑問ではある。せめて助監督クラスで誰か入れておいてもよかったのでは、 とも思うが、こうなった以上は仕方ない。ただし一方で、今回代理監督として 外部から新たな大物を招かなかったのは、これはこれで悪くない気もする。 前回の予選でチームとしてもまとまっただろうし、選手たちも技術のみならず 気持ちの面でも「トップレベル」であろう。やることはわかっているだろうし、 逆に変な価値観が外部から急に侵入してくるよりはこの方がいいかもしれない。 "長嶋" をいじることができないスタッフ。それが1番重要かもしれないし、 それならば中畑・大野・高木のコーチ陣は、好適である。


平成16年8月10日 --夏休み--

川村も佐々木も、神奈川新聞がベイスターズの試合が中止になって書くことが ない日に特集記事として取り上げたら、急に打たれ始めたじゃんか。 神奈川新聞、よけいなことしちゃって...(因果関係はないだろうが)。

先週は1週間、夏休みをとって会社を休んだ(NHKの高橋美鈴も夏休みかと思ったら 今週も出ていないが、どうしたんだろうか?)。もともと予定がなかったのが災いして、 なんだかよくわからない、もやもやした1週間になった。自慢にもならないが 簡単に振り返ってみる。

日にち 特記事項
7月31日(土) 自分のチームの野球の試合が中止。急遽大学の野球部のOB戦に
参加することは可能な状況となったが翌日のチームの連絡を
メールで<出さなければいけないところに予定がなかなか決まらず、
家を出られず(メールできる携帯電話にしろよ)。
大学の方は、夜の懇親会だけ顔を出す。
OB VS 現役のOB戦は引き分けたとのこと。OB大健闘。行けばよかった。
8月1日(日) 野球の練習。
夜になって高校の野球部同期の結婚の連絡が入る。
8月21日挙式。呼ばれてないからまだいいが、そんな急な連絡あるか?
同期をほとんど呼んでいないので別途お祝いの飲み会を
開催する話が持ち上がり、連絡メールを出す。
8月2日(月) 高校の野球部の監督を長く務めたS氏の慰労パーティーを
10月2日に予定(筆者も幹事)。案内状を出す段にあたり、学校での印刷は
好ましくないとか印刷屋だと高いとか金がかかるとか往復はがきの
印刷はやってないとか、さんざんもめた末に筆者の自宅での
印刷になる。往復はがき550枚の、印刷・宛名ラベル貼り・折り。
Dynabook 1台 + Canonのプリンタ2台。まる1日つぶれた。
15時から9個下の後輩を一人呼んだが19時まで彼を拘束。
悪いことした。今度焼き鳥でもおごる。(金で解決かよ?)
8月3日(火) 着替えやバイオリンを持って自宅を出る。実家への帰省。
横浜東部の眼科で定期検診。鎌倉の実家に戻り、少し休んで
夕方にバイオリンレッスン。
8月4日(水) 鎌倉でのんびり。手持ちのお金がないので銀行まで行った
帰りに材木座海岸に寄る。ちょっとだけ夏の鎌倉の海に
触れてみる。
8月5日(木) 早起きして静岡へ。他チームの野球の試合の偵察。
ところが熱海でわりと雨が降っていたので引き返した。
引き返す途中で雨はやんだ。結果的に試合は行われたらしい。
結局実家で大したことせず。
久しぶりに帰省した筆者のために母親が手作りの春巻を
作ってくれると張り切っていたが、母親が夏ばてのため、夕食は出前。
近くの中華料理店から春巻を注文する。
8月6日(金) 実家から自宅への移動日。
発送した往復はがきがいくつか返ってきていた。
早くも返信をくれたものもあったが、だいたいは宛先不明。
8月7日(土) 甲子園開幕。開幕戦からいい試合だった。
午後、家を出る。床屋に行った後、新宿へ。
昨年フランスでの結婚式で会った人たち(で、日本在住の日本人)
との再会の会。6人集合。1度しか会ったことない人との
1年ぶりの再会のわりにかなり楽しかった。異国での
一件は偉大である。
終了後、浦和に移動。翌朝早くに茨城県岩井市に行くため、
浦和のビジネスホテルで1泊する。
8月8日(日) 岩井市営球場に8時集合。浦和駅-大宮駅-愛宕駅-岩井市営球場と移動。
自分のチームの野球の試合(練習試合)。
埼玉のチームにサヨナラ負けを喫する。

時間があるんだかないんだか、よくわからない夏休みだった。 昨年はフランスだったので有無を言わさぬ夏休みだったが、 これといって予定のない夏休みは、逆に難しいものである。


平成16年7月27日 --年金--

年金のことが、とみに話題に上るようになってきた。あるテレビ番組の解説で、 「年金の制度は現役世代(現在働いている、我々のような世代)が引退世代(年金をもらう方の世代) にお金を払う仕組みになっている」ということを言っていた(と自分は理解した)。 自分の将来のために現在お金を納めているようにも錯覚するが、そうでもないと いったところだろう。

一方で少子化の問題も無視できないほど騒がれているわけだが、それならばいっそ、 「産んだ子どもの人数でもらう年金の額を決める」ことにすればどうだろうか? 産めば産むだけ、多くの年金をもらえる制度である。 今の世の中で子どもを多めに産んでくれることはおそらく世間全体としてはありがたい。 それに対するご褒美のような感覚で年金を多めにもらえる。逆に、意志があるにせよ ないにせよ子どもが0人だった(である)場合には少ない金額しかもらえない。 ただし子どもの養育にかかる出費がそれまでになかったことを考えれば、 そんなに的外れな考え方でもなかろう。「子どもを産むか、産まずにお金を貯めるか、 どちらかにしてください」というスタンスである。もっと言えば「自分の子どもに お金を出してもらってください。一人あたりの納入額は同じなので子どもがたくさん いればたくさんもらえますよ。いない場合は国がちょっとだけ出します。」 というスタンスである。これによって、保育園の数や 社会環境・教育体制等を懸念して子どもを作るか迷っている夫婦から、 何パーセントかは子どもを作ることに踏み切る夫婦も出てくるかもしれず、多少は少子化の問題も 緩和できるかもしれない。子どもの数が急増したら、それはそれでお金を納めてくれる "現役世代" の層を厚くできるので原資も確保できる。 もちろん、こんな簡単なことで片づく話でもないだろうが、 ちゃんと詰めていけばそんなに悪くない制度にもなりそうだ。いかがだろうか。

う〜ん、離婚や再婚を繰り返した場合に子どもの人数をどう数えるかが 面倒になりそうだ。また、行政的に子作りを促進するような構造にもなりかねず、 倫理的に好ましいかも疑問ではある。法律にも社会にも詳しくない筆者が 思いつきで言っていることなので欠点は多くあるが、一考の価値があればと思う。


平成16年7月13日 --新日本プロ野球構想--

さらに大変なことになった。プロ野球界では先日行われたオーナー会議で、 近鉄・オリックスの合併を話し合うにとどまらず、さらに別の合併の話が 進行中であるとの報告があったという。しばらくぶりにオーナー会議に出席してきた 西武の堤オーナーがパ・リーグを代表して発言したという。しかも私案として 「10球団による1リーグ」「3軍制にして3軍を社会人野球といっしょにリーグ戦等を行う」 「日本シリーズやオールスターは東西対抗で」などの骨子を含めた "新日本プロ野球構想" まで出てきたという。記者会見では巨人の渡辺オーナーが、 選手会が申し出ていると言う特別委員会の設立や、合併問題の1年間凍結について 「必要ない」「1年でなく2ヶ月話せば十分」と、根拠なく答えている。

一つには、急すぎる。現状を維持する方法があるかないか、まず検討してから それが無理ならば代替案を考えるべきだろうが、最初の検討がほぼなされていない。 例えばライブドアバファローズで現状の12球団を維持できる方法があるかもしれないのだ。 次には勝手すぎる。話し合いの時間が2ヶ月で十分だとか、一部の人間以外の話し合いは 不要であるということを、勝手に決めないでほしい。当然、新日本プロ野球構想も 勝手に出してこないでほしい。経営者にしかわからない事情や経営者にしか決められない 事柄はあろうが、よくも悪くも世の中に今ぐらい浸透しているプロ野球なのであるから、 一部の人間だけで勝手に事を進めないでほしい。もう一つには「状況をわかっているか?」 ということもある。現在1球団保有することに苦しんでいる各球団が、3軍までを 保有することができるのか? そこは独立採算だとかでどうにかするとして、 3軍を社会人野球と同レベルに置いてリーグ戦等を行う、とはどういうことだ? 今の社会人野球のトップレベルは、プロの2軍より少し強いと言ってよい。 「3軍」としてどういう組織を想定しているか知らないが、練習生とか高校を出た ばかりの選手で構成するようなことを考えるならば、社会人野球のトップレベルには 少なくとも到底かなわない。プロとアマの壁を排除して交流を深めていこうとする考え自体は 悪くなく、アマ側のえらい人もすっかり乗り気になっているという話も某掲示板で 読んだが(簡単に乗り気になるのもどうかと思うが)、事情を理解して提案しているのか?

結局は新日本プロ野球構想は、一応野球界の発展(というか衰退への歯止め)をうたっているのだろうが、 あとづけの理由を並べただけのものであり、 1リーグ制を急ぎたい一部の経営者が、結論ありきで進めている話にすぎない、と思う。 巨人との対戦を取り入れることで収入を増やしたい、ということだろうが、 なんか情けない話である。それならば交流試合の話をより真剣に進めていくのが先だろう。 第一、今の巨人軍がそんなに魅力的か? ビジターの巨人戦では空席も目立ち始めている。 1リーグにすれば、現在両リーグの観客動員の少ないチーム同士の対戦というのも 入ってくるわけで、それでも増収が見込めるのか?

現状維持が難しい、あるいは変えていかなければ(考え直していかなければ)ならない 部分があるというのはわかる。だからこそ、現状を把握していろいろな意見を聞いて、 時間をかけて議論してほしい。報道されている限りでは、大企業をリードする、優秀なベテランの 経営者よりも、野球しかやってこなかった "たかが選手" の方が、よほど正当であると感じる。


平成16年7月5日 --ライブドア--

「ライブドアでいいじゃんか、もう」。

プロ野球の球団合併問題で、ちゃんとした意見を持っていなかった筆者だが、 先週の一件で、明確に上記の意見を持った。

ライブドアという会社がどうなのかとかいうことは気にせず、おそらくは多くの ファンは同じように思っていると想像する。選手も12球団の維持を最優先に 考えたいだろうから、同じように思っていると想像する。しかし事態は簡単ではない模様である。 経営者がこれに賛同していない。

近鉄の経営者が出しているコメントが「すでに断った」「もう終わった話」 「受けることはまずない」などといったものばかりである。相手にしていないというか 話も聞いていないのだろう。ビジネスとしてそういう判断がありえるかもしれないが、 ファンや選手のことをあまりに後回しにした対応であり、納得はしがたい。 もう少し広くとらえて、12球団の経営陣、ということでも「現実的に難しい」 「もう合併で話が進み始めている」といった雰囲気でこれを受け入れる雰囲気にない。 おかしな話である。

12球団、と言っても結局は読売巨人軍の渡辺オーナーの意見に大きく左右されるようなので、 そこに行き着く。渡辺氏はもともと1リーグに賛成だったようであり、 今回の合併話が出た際にも「基本的にはコミッショナーの判断で議論を進めて...」といった 控えめのコメントから始まって、だんだん骨格が見え始めてきたところから 持論を展開し始めている。「野球界発展のためには1リーグ制がよい」「球団数は8くらいがよい」 などがその内容で、そもそも球団経営が厳しい他球団の事情も重なって、 一気に1リーグ制実現への拍車をかけようとしていると見受けられる。 何かと反対意見を吠える(失礼)ことの多かった渡辺氏が容認していることで 当事者の近鉄・オリックスの経営者も、渡辺氏の逆鱗に触れないうちに理想通りに 事を進めたい、というのが今回の構図であると推測する。ライブドアによる 買収とオリックスとの合併と、近鉄の経営判断としてどちらが好ましいのかは よくわからないが、ライブドアの方が好ましかったとしてもそちらを選ぶわけに いかない事情が、近鉄の経営陣にはあるのだろう。

まちがいだらけである。そこに気づいてほしい。ファンや選手のことを第一に考えてほしい。 横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併されたときのファンのコメントでも 「日本が韓国に吸収されますからこれからは合同チームを応援してくださいって、 そんなことはできますか?」といった趣旨のものがあった(国際問題に発展するような 趣旨の発言ではない。サッカーでの話である)。古くからのライバルである近鉄・阪急が合併したチームを、 応援に行く気になるだろうか? また、結論ありき(将来的に1リーグへの移行という結論)で 話が進んでいるように見えるのも気分が悪い。ライブドアからの申し入れがあって、 話も聞かないとはいかなるものか。12球団維持という、ほとんど誰もが願う形を、 最初から捨てて新体制に向けて動こうとしているように見える。体質が古いのか、 頭が固いのか、メンツ重視なのか、なんだか知らないが、「男に二言はない」とか言っている 世の中じゃないだろう。まず12球団維持を考えるべきで、その方法が見え始めたのに考慮もしないとは、 本当にばかげている。また、「野球界の発展」と「1リーグ制」がなぜイコールなのか。 確かに野球界は、いろいろ厳しい状況にはあるかもしれないが、その解決のためには 1リーグ制ではなく他にやることがあるのではないか。逆に1リーグ制では余計衰退しかねない。

「ライブドアバファローズ」でいいじゃんか、とりあえず。本拠地も大阪から 動かさないと言っているし。近鉄よりは体力があるだろうし。


平成16年6月21日 --一喜一憂--

またも平日の公式戦。仕事を休んでの先週金曜日の都市対抗予選1回戦は、 三菱重工横浜クラブの前に1-8で敗退した。相手が強いのは認めざるを得ないものの 結果だけを見れば、ここまで今季公式戦未勝利である。「憂」。

2日後の昨日、母校(大学)の野球部がちょっとしたことをやってのけた。 3部リーグ戦を9勝1敗で優勝して臨んでいた2部との入れ替え戦。 すでに1勝を挙げていたのだが昨日、2勝目を挙げて2部昇格が決まった。 筆者が在籍していた6年間では、5年間を2部で過ごしており、就職して少し してから3部に転落していたので、筆者からすれば「2部に上がったわけではなく 戻っただけ」とは思っている。まあそれでも、転落から復帰まで3年間かかったこと、 その間のすべてのシーズンはあと一歩で優勝に届かない2位に終わったことを考えれば、 やっと勝ち取った今回の昇格は喜ばしい。「喜」。

応援している横浜ベイスターズは6月半ばまで来て依然として5割前後の勝率をキープしている。 知人の中には「横浜、強いね」と言ってくれる者もいるが筆者はこの言い方は まちがいであると言い返している。「"昨年よりは" 強いね」もしくは「弱くないね」が 正しい言い方であると思っている。5割キープということは、半数の試合には 敗れているわけであり、「強い」という表現は適さない(と思う)。とまあ、 表現のことはいいとしても、昨年の惨状を考えれば、奇跡的と言っても いいかもしれない戦いぶりである。こちらはまあ、5割だからまさに「一喜一憂」か。

最もプライオリティが高い、自分の野球で結果が出ないので、あまり喜ばしくは ないのだが、なんだか野球についても、整理困難な今年である。 まあ、すべてが(自分のチームも、応援するプロも、母校も)ダメだった昨年よりは 多少よいのだろうか。


平成16年6月14日 --整理不能--

いろいろなことが頭に入って来すぎる(勝手に侵入してくる。知識を吸収しているわけではない)。 自分の野球ではクラブ選手権の予選で敗退してへこんでいたのもつかの間、 今週には都市対抗野球の予選である。対戦チームの簡単な分析、は 先週で終えているのだがなんだかんだ考えることが多かったりもする。 一方で個人的に興味のある大学野球では、全日本選手権が開催されていて、 プロ注目の明治大・一場投手が完全試合達成!。といったトップレベルの 大ニュースの一方で筆者が管理するマイナー大学野球リーグの掲示板が よからぬ方向に迷走し始めたり...?(リーグの運営まで迷走しないでください) 3部優勝を果たした後輩は入れ替え戦で2部に上がれるのか? 高校野球では母校の夏の大会の組合せも決まり、先日は学校まで激励および取材(?)に 行ってきた。そんなところにもってきて昨日はプロ野球界で「近鉄・オリックス、合併!?」 という球界を揺るがす大ニュースである。これについてコメントしたい気もするのだが、 何かが決定したわけでもないし、まだ整理がつかなくて自分でもどうとらえている のかがよくわからない。コメントしようがない。印象的だったのは、 それを報じる某スポーツ新聞で、いろいろなプロ野球関係者(選手含む)のコメントが 載っていたのだが、これがけっこう多彩であること。「コメントできる立場にない」 とする人も多い一方で、決まってもいないのに、1リーグ制やパ・リーグ5球団 という具体的な言葉を出して意見を言う人もいる。

野球だけでも整理がつかない。プライベートも含めて、ますます整理がつかない最近である。

(公開にあたって内容を一部編集)


平成16年5月31日 --最悪の週末--

先週の金曜日(28日)、仕事を休んで(については大きな問題ではないのだが)、 1年の中で1番大事な野球の大会に参加。社会人クラブチームの選手権大会で、 8月に行われる全国大会に続く最初の一歩である神奈川県予選である。 チームとしてこの大会を目指してがんばってきたつもりだし、 昨年は神奈川の予選で初戦敗退。今年こそは、と臨んだつもりだったが、 2-5で敗れてまたも初戦敗退を喫してしまった。

とてもへこむ敗戦だった。昨年の初戦敗退は4点をリードしながら8点を取り返されて 5-13で負けたという、ショッキングな敗戦ではあったが今年はだいぶ違う意味で ショッキングであった。今年については自分が考える中での理想の形というものを、 チームとして(これまでよりは)できるようになってきたかと感じていて、 ナインも明確にこの大会の勝利を目指すという方向に意思統一できてきたと 思っていた。戦力の面での不安は「何もない」ということにはなかなかならないのは わかっているが、いずれにしても準備段階としてそんなに悪くない状態で大会に 入ることができたとは思っていた。個人的にも今年は例年より充実感も感じながら 取り組むことができていた。ただし結果が出ない。

帰宅してみるとものすごく疲れていることに気づいた。自分の試合に加えて 前後の1試合ずつを偵察していたので、計3試合分、野球場にいたことにはなる。 ただしウォーミングアップすらしておらず、体が疲れているわけではないはずである (自分は公式戦では選手登録をはずれてコーチ登録になるので)。 でも疲れていた。スタンドのベンチに背もたれがなく、ずっと座っていると疲れるという 構造的な事情は無視できない。そうは言ってもその疲労度は...。精神的な疲労、なのだろうか。 大会が続く29・30日、会場に行く(他チーム偵察のため)ことはできないのではないかと 思うくらい疲れていた。結局行って、こんがり日焼けしてきたのだが。

負けてばかりの野球人生。平成4年夏、菊地原(現広島カープ)擁する相武台高に敗れて高校野球が終わった敗戦。 平成5年秋、3部転落の東京理科大との入れ替え戦。平成8年春、采配を指揮しながら最終回に 1点届かず負けた駿河台大戦。平成9年春、敗れて2部優勝が険しくなった東京理科大戦。 平成10年春、「勝った方が優勝」の最終戦で大敗した東京国際大戦。 いろいろとイヤな敗戦は味わってきたつもりだが、そのどれとも違う倦怠感のある、 今回の敗戦だった。

帰宅後、疲労感の中で、30日にグランドが確保してあるから練習試合の相手を 探さないかと、クラブのマネージャーから連絡が入る。同じ境遇のMというチーム に連絡してみたが音沙汰なし。へこんで寝込んでいるか? Tという大学にメールで 打診はしてみるものの「難しい」との返事。前に試合をした千葉のあるチームの ホームページを調べるとどうも、予定は入っている模様。Dという大学の監督の 名刺を持っているのを思い出して電話してみると快諾。いろいろと調整し、 チームのメンバーに「D大学との練習試合が入りました」の連絡。 28日に勝っていれば30日は大会が続いていたはずであり、練習試合などする はずではなかった。こんな連絡を受けてチームメートはどう感じているか? 一方で心はへこんで体は疲れているはずなのに、事務的な作業を淡々とこなして しまう自分に、ある種の嫌悪感も感じる。(こんなところで書いてもしょうがないが) 筆者が機械的な人間で感情もなく、へこむことなくチームの作業をこなしている わけではない、ことはチームメートにはわかってほしい。(ただし、基本的には情はあまりない方と思う)

負けた自分たちが悪いのだが、すべてが最悪の週末だった。


平成16年5月24日 --異国に帰国--

かつて北朝鮮に拉致されてさいきん帰国が実現した方々が北朝鮮に残してきていた 家族(子ども)が、このたび日本に来た。飛行機で日本に到着する時間帯はどこのテレビ局も その関連の報道を行っており、筆者もけっこうテレビに見入ってしまった。 小泉総理が直接北朝鮮を訪問して実現した家族の日本行き。「8人が5人になった」 にしても一定の評価を与える見方がある一方で、拉致被害者家族の会(正式名称知らず) からは、痛烈な批判も出ている。それぞれの立場や考え方もあるだろうから なかなか難しいとは思う。少なくとも筆者にはどちらの見解が妥当なのかは わからないので、ここではそのことには触れない。

拉致被害者である蓮池さん夫妻、地村さん夫妻の子どもたちが、16才〜22才くらいだという。 北朝鮮の高校やら大学やらに通って、あるいは卒業して働いていたところ、 このたび日本に来たという。テレビ報道では「拉致被害者の家族、帰国」「初めて踏む祖国の地」 などの言葉も使われていた。やはり拉致被害者の一人である曽我さんの家族が日本行きを拒んだ ことで全体が歓迎ムードというわけにはいかないものの、蓮池さん・地村さんに ついてはどことなく「よかったですね」といった雰囲気にはなっている (と判断しているがそうでなければ申し訳ない)。ただ、ちょっと待ってほしい。

親子の対面は1年7ヶ月ぶりだったという。まして両親が前回、北朝鮮から日本に 戻ってきた際に子どもたちには「旅行に行ってくる」と伝えて出てきたというので、 それを考えればこの再会自体はとても感慨深い。そこに異論はないのだが、 子どもたちが日本に来ることが本当にベストだったのか。ましてや「帰国」「祖国」 の言葉は適切なのか。

彼女ら、彼らがどういう教育を受けてきたのかまるで知らないが、北朝鮮の学校教育の中で、 例えば日本という国に対してかなり悪い印象を与えるようなことを教えられている 可能性があると思う。仮にそれがなかったとしても、日本に来てこれからはどうするのか。 特例として相応の学位を与えたり、あるレベルの教育の修了を認めることは 可能としても、言葉の通じない世界の中でどう適応していくか。 就学、就職、生活。言葉の問題や当人たちの気持ちの問題として、 超えなければならない壁はわりと多いと予想する。まして年齢的に学問は道半ばとしても 各自の世界観や価値観は確立しつつあると思う。言葉や習慣もこれから日本に あわせるのは大変だろう。法的な整備や手続きの問題は いくらでもなんとかなろうが、当人の気持ちの問題は簡単ではない。 少なくとも筆者ならば非常に困惑する。20才前後の年齢になったときに 両親が突然海外旅行に行くまではよいが、しばらく帰ってこない上に 「実は私たちは○○国の出身者だからあなたもこっちに来なさい」と言われたら 非常に困惑する。ましてやイヤな印象を持っている国だったり、言葉や習慣が まるで異なる国であればなお困惑する。急に好きになれとか順応しろと言われても難しい。 ましてや生活の基盤を作って永住しろとなれば、もうどうしていいかわからない。 (今回のことで言えば、経済事情が大幅によくなるかもしれないという点は多少魅力かもしれないが。)

今回の件につき、結局拉致などということをするのが悪いという、至極当たり前の 結論一つを導き出すことは筆者でもできる。ただ、考えなければならないのは これからのことだろう。国際関係的に、あるいは人道的にもまず実現することは ないだろうし、とんでもない発想であることも重々承知しているが、彼らの一家が もう1度北朝鮮で生活する選択はありえないのだろうか。少なくとも、(子どもを含めて) 一家としてそういう意志があるかどうかの意志確認くらいはできないのだろうか (子どもも含めて、すでにその意志がないならばこの限りではない)。小泉総理を始めとして 政府が「日朝の友好関係」をうたっているようだが、それが本気ならばこういう 選択もありえておかしくない。もちろん、両国友好のためにそうしてほしいと 言っているのではなく、あくまで当人たちに意志があれば、である。


平成16年5月10日 --人選--

女子バレーボールのオリンピック最終予選が始まった。大会直前に、それまで15人 召集されていた全日本候補から12人が選出された。筆者は以前にこのコーナーで、 昨年の女子バレーボールのワールドカップの際のメンバー編成について触れたが、 今回は選出される直前に自分なりに「誰をはずすのだろうか」と予想してみた。

とりあえず当確と思われるメンバーを挙げる。主将の吉原は当確。レギュラーセッターの 竹下も当確。セッターを二人しか召集していないのでもう一人の辻も当確。 リベロの佐野も、専門職として一人しか召集されていないので当確。 19歳の栗原・大山には、テレビ番組で柳本監督が厳しく叱責する場面も放映 されていたが最終的にはずす選択はしないだろう。当確。レギュラーセンターだった 杉山も当確だろうし、大会直前のテレビ番組で、新しくセンターとして召集された 大友が評価が高いと言うので、これもおそらく当確。佐々木は栗原・大山との 兼ね合いで控えに回ることは多いものの、女性離れした強烈な アタックを打てる選手で、確か今回のVリーグでもMVPに選ばれた。これもはずせない。 やはりアタッカーの高橋は、上背はないがエースアタッカーであるし、栗原・大山を 押しのけてレギュラー入りする技術が十分にある。当確だろう。

残る5人から3人を削らねばならないが、有田が負傷したというので実質、 4人から2人を削る必要がある。まずスーパー女子高生と言われる木村と、 中学生ながら召集された狩野だが、どちらかははずれるだろう。 彼女らの実力をよくは知らないが、若さゆえの明るさであるとか、何事も恐れずに ものおじしないとかいう点に、仮に期待するとしても、 極端に若い選手が、二人は必要ない気がする(実力がずば抜けているなら別である)。 どちらかがはずれたとして、あと一人。大村・成田のどちらかをはずすことになる。 大村は、監督として栗原・大山に絶対の信頼感があればはずすことができる気もするが、 柳本監督も二人に対してそこまで全幅の信頼はないと思う。だとすればとっておきたい。 大村の選出は栗原・大山への信頼度とリンクしていると思った。もう一人の成田がまた微妙である。 1度引退して2年くらいのブランクを経て復帰したが、召集している以上は ブランクの影響はないと判断しているのだろう(あるいはそれを確認したくて 召集したのかもしれないが)。ただしポジション的にも栗原・大山・大村に加えて 佐々木・高橋といったレフトの選手とかぶるので、どうしてもはずせないという ほどでもない。しかし、さらに逆の事情もあって、成田は確か前回のオリンピック予選のみならず、 もう1回前のオリンピック時にも全日本で召集されているはずである。 この経験は捨てづらい。

非常に興味深くメンバーの発表を待っていたが、結果的にはずれることになったのは 狩野と佐野である。唯一リベロの専門として召集していた佐野をはずし、 成田をリベロとしてメンバーに入れた。相当苦慮しただろうし、難しい決断だったと思うが 絶妙の人選とも思える。確かに成田はもともとレシーブの評価も高かった気がする。 ルールとしてできるのかわからないが、試合によってはリベロでなくアタッカーとして 起用することもできるのかもしれない。そしてなによりも、豊富な経験を、 "リベロ" というポジションでいつもコートに置いておくことで生かす。 この人選は予想もしなかったし、個人的に佐野の落選も残念には思うが、 柳本監督の下した決断が功を奏することを願いたい。


平成16年4月26日 --人--

人というのは本当におもしろいと言うか難しいと言うか...。人はいろいろな 考えを持ち、それに対していろいろな人が意見を持つ。確固たる信念を持つ場合もあれば 考えが揺らぐ場合もある。言っていることとやっていることが違ったり、 なにかとオブラートがかかったりする。そんなことをより強く感じるさいきんであった。

先週書けば最もタイムリーだったと思うが、イラクで日本人3人が人質になる事件があった。 事件が発覚した当初は「人質の人命救助のため、日本の自衛隊を撤退すべき」 「そもそも最初から自衛隊を派遣するべきじゃなかった」といった意見がおそらく多く、 少なくとも筆者は「何をやるかわからない相手だから本当に人質を殺すかも。そうなったらまずいだろう」 「人命救助最優先」「なぜ撤退しない? お前が人質と代わってこい、小泉」くらいには思っていた。 まあ、人質側の味方の意見と言える。やがて人質が救助されて全体がほっとした ところに、人質になった人たちが「またイラクに行きたい」と発言しているといった 報道がされてきて、小泉首相らが「これだけ多くの人が救助のために携わってきたのに、 そういうことを考えるかねえ? 頭を冷やしてほしい」といった趣旨の発言をした(と筆者は解釈している)。 確かに一個人の勝手な行動のために政府が人命救助に動かねばならない リスクを言われると、それもその通りという気もする。人質側の味方の意見を 持っていたはずの筆者も、報道に乗せられたか、自分としてどうとらえているかが 揺れてきた。

独裁を望む人がいる。利権のためか、理由をつけて戦争をしたがる人がいる。 なんのためかよくわからないが戦争に参加したがる人がいる。 戦争に反対する人がいる。ボランティアで、困っている人を助けたいと思う人がいる。 人質をとって自らの要求を主張する人がいる。人質の家族が必死に救出の道を 模索する一方で人質を間接的に中傷する人もいる。3人の人質が開放された一方で 別の2人が新たに人質になって事件全体として解決を見ていないのにバカ喜びする人がいる。 人質として極度のストレスを負い、自責でないとしても間接的に世間を騒がせておきながら 「自分の活動はこれまで通り続けたい」と発言する人がいる。 事件が一応の解決を見たあとで、書かなくてもよいのに「今だから書ける! 人質家族へのこんなにひどい中傷の数々」と、人質をかばうフリをして わざわざ中傷内容を紹介する(間接的に当人たちをもう1度中傷しようとする) 記事を週刊誌に書く人たちがいる(今だって書けねえよ)。 「人質に女性が混ざっていたから殺されなかった」と微妙な発言をテレビで コメントする人がいる。人質の3人が別の属性を持つ3人だったら展開と報道が 大きく異なっていたであろうと予想する人がいる。

今回の一件は事件自体、許されるものでもないし誰かが望んだものでもない。 一応の解決を見たからと言って起こってよかったと言えるものでもない。 また、筆者も考えが揺れたが、問題自体も多くの要素を含んでそれらが複雑に絡み合い、難しい問題である。 ただし人々の言動を研究するに、わりとよい題材だったかもしれないとも思う(結果的に)。 人間全員がそうとは言わないが、基本的には愚かな人がわりと多いこと。 誰かのためとか何かのために行動しているようでその実は自分のことプラスアルファ くらいしか考えていない人がわりと多いこと。まあ、強いてよく言えば人間一人一人は そんなにすばらしくはないこと。そういったことをあらためて認識したように思う。 もちろん、こんな発言をしている筆者自身もかなり愚かな一人である。

この事件の今後だが、人質になった人たちの会見が終わっていないと記憶しているので、 それが行われるならばそこでまた大きな話題とはなるだろう。自衛隊派遣の是非、 危険地帯でのボランティア活動の是非などが世間的な議論となるだろう。 ただし、おそらくは時間がたてば(しかもたった数週間程度で)結論がよく見えないまま 話題にも上らなくなるだろう。あるいは上記会見がこのままないならば、 それはそれで、もうすぐなんの話題にもならなくなるだろう。 愚かな人間社会は大事なことでも風化させるのは得意である。


平成16年4月20日 --時刻表トリック--

熊本に出張に行くことになっていたものが、行かなくてよいことになった。 楽しみにしていた部分もあるので、残念な気持ちはある。ただ、それはそれで 時間の部分で助かっていることもなくはない。

20日〜28日、熊本に滞在する予定だったのだが24・25日には野球のために 神奈川に戻って来たい。23日の業務を普通に終え、26日の業務を普通に開始する ためにどういう行程をとればよいのかを事前にシミュレートしてみた。 実現しなかったので披露することもないのだが、せっかく考えたので 行けなかったうさ晴らしも含めて書き残してみたい。

往路(熊本→関東)
23日に帰れる場合 24日になっちゃった場合
熊本空港 20:40発 7:50発
羽田空港 22:15着 9:25着
自宅 23:51着 ----
府中駅 ---- 11:00ごろ着
府中市民球場 24日9:30集合 11:30?着
24日、府中市民球場で野球(練習試合)
試合後、山梨県(甲府周辺)に移動
(場合によって1度帰宅)
山梨県に宿泊
25日7:00、南アルプス市民球場集合
8:30〜2試合(練習試合)
試合後、甲府駅に移動
復路(関東→熊本)
甲府駅着が早い場合 甲府駅着が遅い場合
甲府駅 16:10発 18:55発
新横浜駅 ---- 21:00着
21:09発
新大阪駅 ---- 23:23着
近辺に宿泊
羽田空港 18:47着
19:20発
----
大阪伊丹空港 ---- 26日7:45発
熊本空港 21:00着
熊本市内に宿泊
26日8:50着
業務先 26日、宿泊先より出勤 熊本空港より直行

という、壮大な計画になった。土日の野球の場所がたまたま近くないということも あるのだが、最悪の場合に野球のユニホームと仕事のスーツとを、 両方持ち歩くのだろうかと心配したりした。23日の業務の都合や熊本県内の どこにいるのか、なども事前に何もわからないのでいくつかのパターンを用意した。

結局実現はしなかったのだが、やってみたらどうなっていたのか、ちょっと興味はある。 甲府・大阪・熊本のビジネスホテルに3日続けて泊まるとなれば、 一生のうちでも前にも後にもこの1回しかなかっただろうとも思うし。


平成16年4月6日 --野球界、大丈夫か?--

先日の日曜日、自分の野球が中止になったりもして自宅でのんびり野球を 見る時間が取れた。テレビで野球を見ていたのだが、いろいろ考えさせられた。 高校野球の春のセンバツ大会決勝戦が夕方から始まり、 プロ野球のナイターと一部時間帯が重なった。高校野球(済美高校VS愛工大名電高校)の 終盤とプロ野球(巨人VS阪神)の序盤が重なり、迷いながらどちらかに決めて 見ていた人、チャンネルを変えながら見ていた人、などいたのではなかろうか。 筆者は後者であった。ただ、なんともさびしい気分になった。

たまたまではあるが高校野球の方は1点を巡る激しい終盤の攻防が繰り広げられ、 一方でプロ野球の方は巨人が序盤から一方的にやられていた。 前々から、プロ野球と比べての高校野球のよさという点で「一生懸命であること」 が言われたり、トーナメントゆえの真剣さといったことが取り上げられることは あったと思う。プロ野球の選手とて、一生懸命であろうし真剣であろうとは思うが、 先日の両試合はなんとも「高校野球の方がプロ野球よりもいいね」と 直感させられそうなものとなってしまった。筆者はそう単純な話をしようとは 思わないが、人々がなんとなく試合を見て "直感的に" そう感じてしまっても 仕方ないであろう現象が起こってしまった。

巨人がこの日の試合に負けたのは、長いシーズンの1試合だけの話である。 ただ、チーム構成というか戦い方というか、野球への考え方・取組みと いったことまで含めて「これでいいのか?」と思わされる部分が多い。 戦力補強のバランスが悪く、弱い部分を補う補強になっていない。 堀内監督は投手出身ということもあって、投手を中心に守備を固める野球を 目指すとしているが、まったくと言っていいほど現場と噛み合わない補強。 補強の面だけでなくフロントのまずさは昨年オフに特に目立っていた。 今年の巨人を見るに、圧倒的な打力で得点を重ねて大勝する試合はもちろん あるだろう。それを見てファンが喜ぶこともできるかもしれない。 ただし投手陣が今の状態では安定して勝っていくことは難しいし、 打者が安定していつも打ち続けるということはないと言っていいだろう。 だからと言って巨人が今季優勝できないと断言はしないし、 結果的に勝つならばなんでもいい、という考え方は否定はしないが...。 まして、実力の世界だとか企業努力だとかいう言葉で片付けられるのだろうが、 とってつけたように他球団から強打者をいきなり連れてくることにも、 応援する方は違和感を感じてもおかしくない(余談だが、筆者が応援する 横浜ベイスターズに、嫌いな巨人から駒田が移籍してきたときは、 駒田を心から応援する気になるには、筆者は年単位の時間がかかった)。 筆者が心配してあげる必要はないが、今年の巨人ファンはストレスがたまるだろうし、 仮に勝っても心から喜べるのだろうかと少し不安である。 さらに、こんな巨人に、どうしても左右されてしまうプロ野球界も、やはり 考え直さなければならないだろう。筆者自身はプロ野球を見ることをたぶん やめないが、視聴率が下がってきているというのはわかる気がする。

4月4日、高校野球とプロ野球と迷いながらどちらかを見た人と チャンネルを変えながら両方を見た人がいるとは思うが、どっちも 見なかった人が1番多いかもしれない。


平成16年3月29日 --プロ野球開幕--

ボヤボヤしている、、、つもりはなかったのだが、プロ野球が開幕の時期を迎えた。 リーグ全体の展望というのはあまり考えていないのだが、ファンである横浜ベイスターズに ついてだけ少し触れておこうかと思う。

はっきり言って不安である。ここ数年は、優勝した翌年からもAクラスには入っていたので 開幕を迎えれば「願望を込めて今年は優勝を」とは言っていた。森監督の2年目のときに 壊滅的な最下位だったが翌年(昨年)に山下監督を迎え、それはそれで「優勝を」とは 思わなかったが前の年とは違う戦いができるのではないかと少し期待もした。 しかしその壊滅的な最下位も2年続いてしまって迎える今年の春。 ましてオープン戦で前の年との違いを感じさせてくれるならばまだしもそれもない。 考えてみればそれもそのはずで、昨年のシーズン途中で球団の株主総会だかから 「血を入れ替えなければ再び強くならない。複数年契約の選手も関係ない。全員がトレード候補だ。」 との発言が出ながら、目立った血の入れ替えもなく迎えるシーズンである。 筆者個人的には、無理に血を入れ替えるよりも在籍する選手の奮起で再び強く なってほしいとも思っているのだが、どうもそれも感じないし、そこに期待を するのも難しそうだ。

佐々木の復帰はうれしいし、戦力面でアップは望めるものの、本人の調子が どれくらいかという不安がある。万全だったとしてあちこちで言われる 「出番があるのか?(他の投手がだらしないからリードを守って終盤まで来れないだろう)」 という懸念も、はずれているとは感じない。エース・三浦の活躍だけは大いに 期待できるものの斉藤隆はどこかでケガも出そうだし、非常に恥ずかしい思いを 受けてきたはずであろう石井・鈴木尚あたりに、もう1度はいあがっていく姿を 期待してよいのかも微妙なところに来ている。多村・ウッズ・村田で組むらしい クリーンアップも、なんとなく何かが足りない気もする。

とまあ、これだけ不安材料があればなんかの拍子に勝利を重ねていくようなことが あれば望外の幸せを感じられるだろう。「ファンが恥ずかしくない野球」 「早々にペナントレースをあきらめなくてよいシーズン」を、少なくとも期待したい。


平成16年3月22日 --やっぱり--

やっぱりこうなってしまった。体調が思わしくない。寒い中、終日、外にいたりして 体が冷えてしまったか。3月22日か。イヤな日にイヤなことが。

(公開にあたって内容を一部編集)


平成16年3月16日 --納得のスケジュール--

いろいろと時間をとられることが多く、ままならないままの事柄も多いさいきんである。 簡単に言うと「忙しい」という言葉を使うのが適切な状態にあるのだと思うが、 その言葉はなるべく使わないようにしたいと思っている。

日記も滞っている状況なので、忘れないうちにここ数日のことを書いておこうかと思う。

3/1(月) 21:50退勤。
帰りの相鉄線が事故で止まり、誕生日の瞬間は相鉄線内。
3/2(火) 誕生日。
定時退勤。バイオリンレッスン。いつも通りの火曜日。
Vリーグ観戦に関する「ひとりごと」をホームページに掲載。
3/3(水) 21:50退勤。確か外食。
3/4(木) 22:15退勤。確か外食。
3/5(金) 18:30退勤。相模大野で海老名時代の職場の人と飲み会。
3/6(土) 相模原で西多摩倶楽部とオープン戦。大敗でへこむ。
夜は新宿で農工大・理科大野球部OB合同飲み会に流れ込む。
後輩に「陽三さんのホームページ見てる」と言われる。
3/7(日) 町田で桜美林大(準硬式野球部)とオープン戦。
雪も舞う寒さ。勝てる試合を引き分ける。
やっと床屋に行ける。
やっとスーパーで食料品買える。
3/8(月) 午後半休。横浜スタジアムで日産自動車の試合を偵察。
帰りの相鉄線で少し寝過ごす。
帰宅後、特許を少しチェックしたりする。
3/9(火) 19:00退勤。前日の半休が業務に響きバイオリンに行けず。
20:00、東戸塚で中学・高校の旧友二人と飲み会。
3/10(水) 22:20退勤。「バーミヤン」で麻婆豆腐。
3/11(木) 22:10退勤。「王将」で初めて八宝菜を頼む。
昼休みに日産のデータを整理。
3/12(金) 18:30退勤。部に異動してきた人たちの歓迎会。
終了後、酔いながらも職場にリターン。
3/13(土) 東京都立大とオープン戦。辛勝も課題多し。
日産のデータをナインに配布して簡単に説明。
試合後、先方の関係者(選手含む)と飲食。
帰宅後久しぶりにバイオリンをちょっと練習。
3/14(日) 1日フリー。睡眠・家事、その他。やっと布団干せる。
東京新大学リーグ春季展望を書き始める。
高校野球部ホームページ更新を少し。
3/15(月)

世の中にはもっとハードスケジュールな人がいるだろうから、自分のスケジュールを 自慢したりするつもりではない。こうしてまとめて振り返ってみると、 酒飲みではないと思っている自分も、ここ2週はわりと酒の席が多い。 そのおかげで時間が逼迫してしまってもいるのだが、これはこれで自分として 納得できている。人と会う、人と飲む、人と話す。けっこうおもしろい。 仕事で帰宅が(自分の通常よりは)遅くなることも増えているが、なぜか、 そんなにイヤではない。非常に好意的にとらえると、仕事も野球も人づきあいも、 充実している(バイオリンが犠牲になっている)。次から次へと用事が入る (意図的に入れている?)ことが不思議だがおもしろい。あとは、もともと丈夫ではない だけに体調には注意したい。

(公開にあたって内容を一部編集)


平成16年3月2日 --充実の29才へ--

3月2日に誕生日を迎える。29才になる。感想はここ数年と変わらない。 「早生まれであることをうれしく思う」「年をとることはうれしくはない」 「前の年齢に別れを告げるのは少しさびしい」くらいである。

自分の中では1年間をまとめて次の1年の決意(?)をするという時期が2度ある。 1度は年末年始で、もう1度が誕生日前後。ただし両者はそんなに離れていないので だいたい同じような内容に落ち着く。昨年末から今年の年始にかけて思ったのは、 とにかく昨年が自分にとって苦しい年だったことと、今年はなんとかしようということ (非常に漠然としているが)。年が明けて2ヶ月がたつがここまではわりと充実した 思いで過ごして来れている。誕生日を迎えて次の1年に決意することとしては、 「今の充実を持続」といったことになるだろうか。

なぜそんなに充実しているのだろうか? 業務の方ではジャブ的に精神的に苦しい 日々が続いている。ただ、乗り越えた先にいい思いができるだろうとの思い込み(?)が あってなんとか持ちこたえている。充実の1番の原因はやっぱり野球かもしれない。 所属するチームで、今年に関しては自分のやりたいと思う野球ができるように なってきている気がする。過程がうまくいったとして必ずいい結果が出るとは 限らないが、今年はなんとかいい結果を出したい。あとは第3の趣味に台頭しつつある Vリーグ女子の観戦も楽しんでいる。さきごろはファイナルラウンドが行われ、 大阪に行って観戦もしてきたが、なかなかいい試合を見ることができたと満足している。 少人数で酒を飲むことも継続的に続けていて、わりと楽しむことができている。 第2趣味のバイオリンの方は発表会が1年後ということでまだまだエンジンは かかっていないのだが...。とにかく自分の行動の多くに納得感を持ちながら 日々を過ごすことができている気がして、そこは昨年の苦悩と大きな違いかもしれない。

そう言えば「29才のクリスマス」なんていうドラマもあっただろうか? (フジテレビ。山口智子・松下由樹ら。10年弱前だと思う) クリスマス当日はどうでもいいが、事前の憂鬱感くらいは今年は払拭したい。


平成16年2月16日 --ギャラードの自負--

筆者がファンである横浜ベイスターズに、5年ぶりに佐々木主浩投手が復帰した。 日本・アメリカでの活躍は今さら言うまでもなく、期待も大きいが、年齢的なものと 近年ケガや手術が多いことで全盛期の投球ができるのかどうか、筆者は少し 心配している。ただし、いずれにしてもチームにとって大きな戦力となるだろう。

佐々木の突然の復帰で、ギャラードの問題が発生した。佐々木がチームを去ったあと、 斉藤隆が抑えを務めていた2年間はともかく、その斉藤も先発にまわった昨年は 抑え投手の不在に泣いた。そこであわてて獲得したのがギャラードである。日本(中日)での 実績も申し分なく、事実、昨季途中から移籍してきて登板した試合は抑えていた (と思う。ちゃんとした記録は調べていない)。当然今年も継続して契約し、 チーム編成上、ギャラードが抑え投手であることはほぼ決定に近い話だった。 ところがそこに佐々木の復帰があり、チームは優秀な抑え投手を2枚持つことになった。

とりあえずチームが考えついたのはギャラードのセットアッパー(簡単に言うと抑え投手の 一つ手前で登板する投手)転向だったらしい。強力な二人の投手が後ろに控えている ことで終盤3イニングくらいを無失点に抑えられる公算が立ち、これは心強い。 しかしギャラードがこれに納得をしなかった。「契約が違う」というのが 報道されている主な理由であるが、ギャラード自身のプライドということの方が 大きいのではないかと思う(ちなみに、現在はその騒動も沈静化に向かっているようである)。

この話といっしょにしてしまうのは失礼極まりないのだが、似ている(と勝手に思う) 経験が筆者にもある。高校時代、男子スコアラーとして野球部に携わった筆者は、 その役割に関してはそのレベル(高校生レベル、という意)でかなりしっかりやっているという 自信を持ち、努力をして、ナインにも認められていると思っていた。そして励みの一つと なっていたのが夏の大会の「記録員」という枠でのベンチ入りで、これを一つの 目標として取り組んでもいた。しかし2年生のときの夏の大会、結果的には筆者がこの枠で ベンチ入りすることにはならず、スタンドでの応援にまわることになった。 この枠に入ったのは3年生の先輩である女子マネージャー。名前は「記録員」という枠だが どこも女子マネージャーを入れることがわりと通例になっていたので、なんとなくそのままの 流れでそうなった気がする。純粋にスコアラーという役割だけを考えたときに筆者は 先輩の女子マネージャーに劣っていたとは思っていない。ただし、先輩は先輩で別の形での価値を ベンチにもたらすことができた存在だったとも思う。事実、とても仕事のできるしっかりと したマネージャーであり(後輩の筆者から言うのも失礼だが)、部員の信頼も厚かった。 結局この枠の選出をどうやって決めたのかをあまり覚えていないのだが、 失望感と「しかたないかな」という思いと混じっていたような覚えがある。 でも、少したってからできればちゃんとした決着をつけたかったと思うように なった気がする(例えば全部員の投票でふさわしい方を決めてもらう、など)。 それでも負ける結果になったかもしれないし、そうなれば納得はできなかっただろうが、 先輩に軍配が上がるならば、(10年以上たった)今となってはそれも理解できる。

今回、ギャラードはおそらく抑え投手としての力量として佐々木に劣っていないという 自負があると思う。佐々木とギャラードとどちらが上なのかは難しい話だが、 ギャラードが上であるとする考え方があるならばあながち否定もできない。 ただし、抑え投手という一つの枠には佐々木を入れるしかないチーム事情もある。 ギャラードと佐々木の立場を逆転させることは、力量の比較はそっちのけで ほぼ無理なのだ。もしかすると力量の比較をしても結果的にギャラードが劣るのかもしれない。 でも、筆者はギャラードの持つ自負はわかってあげる一人でいたい。 それとともに最終的にセットアッパー転向を受け入れて事態を収拾させた ギャラードの気持ちに敬服する。


平成16年2月9日 --父の孫--

筆者と父親との関係はわりと希薄である、と自分では思っている。 振り返ってみると自分の書く文章(電子メールでの雑談等も含む)の中で 母親が出てくることはたまにあるのだが、父親が出てくることはほぼない。 今の筆者を支える野球とバイオリンという二大趣味のいずれのきっかけにも なっている存在であることは認めざるを得ないものの、父親をそれほど 大きな存在としては意識してこなかった。

希薄だと思う大きな原因はコミュニケーションの少なさであるかと思う。 どちらもおしゃべりではないので二人での会話は少なく、うわべだけの会話で あることが多い。比較的ちゃんと意見交換をするのはプロ野球観戦をしながら 思うことを話すくらいだろうか。だからお互いのちゃんとした考えをおそらくは 把握していないし、把握しているとすれば母親というフィルターを通して伝えられる お互いの考え、であるかもしれない。

先日、父親が誕生日を迎えた。(ここまでの文章で感じられるかもしれないが) 心優しくない筆者は家族の誕生日や「父の日」「母の日」に何かをしてあげた 記憶もないが、今回、「こちらは元気です」ということの報告も兼ねてFAXを送ってみた (FAXというのがいかにもありがたみのなさを表している)。「誕生日おめでとう。 でもまた一つ、じいさんになっちゃったからあまりめでたくないか」といった 内容だった。50代半ばを過ぎた両親を冗談半分で「だいぶおじいさんになったね」 「だいぶおばあさんになったね」などと言っていたので、その延長で冗談半分で まだ若いとは思いながら「じいさん」の言葉を使ってみた。 翌日にメールが返ってきていた。そもそもこちらもメールでもよかったのだが 両親両方に手紙を送るのに母親の方はメールアドレスを持っていないので FAXにしたという背景があったのだが、ともかくも返信はメールで来ていた。 「誕生日を覚えておいてくれてありがとう。じいさんもばあさんも元気です。 でも、じいさんと呼ばれるのは孫が生まれてからがいいかな」といった内容だった。

筆者が子どもが嫌いであることや結婚に否定的な考えを持っていることは "母親フィルター" を通して父親も知っているはずだった。一方で父親が 「男性は家庭を持って初めて一人前」なる考えを持っているらしいことは "母親フィルター" を通して筆者も知っていた(当然、こちらから賛成はできない 考え方である)。それが、こんな形で直接孫の話など出てくるとは思わなかった。 父親は孫がほしいのか。普通に考えてそれは不思議でもないが、知らなかった。 電子メールの効果と言うのか、こんな形でつながるとは思わなかった (もっとも、父親からして単に発した言葉なのか、筆者にプレッシャーでも かける意図があったのか、よくはわからない)。

筆者にとって小さく衝撃的な出来事ではあったが、たぶんこちらの考えが 変わることもなければ両者の関わり方が大きく変わることもないと思う。


平成16年1月27日 --体--

こないだの土日(24・25日)に野球の練習をした。現役選手としては半引退状態の筆者は、 試合に出場しないのみならず練習もじゃまにならないようにあまり参加しなかったりするのだが、 先日は選手と同じメニューに参加してみた。時期が時期だけに、走るメニューが多めで あとは打撃練習とノックとベースランニング、といった練習だった。筆者のみならずけっこう みんな疲れた模様。ただし、ふだんそんなに運動していなかった(長時間運動や 定期的な運動をしていなかった、の意。まるでやっていないというのとも少し違う。) にもかかわらず、なんとか体がついていくことができたことに自分でも驚いている。

その反動による筋肉痛も恐かったのだが、27日午前中の段階ではあまり感じられない。 さらに遅れて出てくるようであればいよいよ年齢を感じざるを得ないが、 このまま出ないならばうれしいことだ。28才。プロのスポーツ選手としてならば 働き盛りかもしれないが、普通の男性(女性もかもしれないが)としては体が動きにくく なり始めてもおかしくない年齢かと思っていた。ただし、あきらめなければまだまだ動くようだ。


平成16年1月19日 --ノムラの考え(下)--

(先週から続く)

野村監督が残念な発言をしているわけだが、実は今年に関しては「なんでも言える」 立場に野村監督がいるというのは大方の見方である(もともとわりとなんでも言っていた かもしれないが)。

昨年暮れのドラフト会議で阪神は、野村監督が監督を務めるシダックスの庄田隆弘 という選手をドラフト6位で指名した。失礼ながら筆者は彼のことは知らないが、 マスコミでは「野村監督の教え子が1年でプロ入りした」といった言われ方もしている。 野村監督として気分が悪いことはないだろう。そこにもってきてシダックスには 今秋のドラフト自由獲得枠候補といわれる野間口貴彦という投手が所属している。 複数球団が狙っているようだが、阪神もその一つらしい。そしてその野間口の進路に 野村監督の助言が入るであろうことは想像に難くない。そこまで考えると 阪神が昨年のドラフトで "野村監督の教え子" を指名したこともなるほどと思える。

大物の野間口が所属しているシダックスの監督を野村監督が務めていることは、 本人にとっても、野間口を狙う各プロ球団にとっても大きなことである。 各球団からすれば、少なくとも野村監督のご機嫌を損ねるようなことだけはしたくない。 だからと言って野村監督が「何を言ってもいい立場にある」というのは言い過ぎ かもしれないし、さらには野村監督が今岡を批判する発言に直接つながるものではないが、 いずれにしても、(よくも悪くも)そういう構図になってしまっている。

あの野村監督までも狂わせた豪腕・野間口の魔力はすごいものがあるようだ。 2年前の春に見たときにそこを見抜けなかった筆者は、まだまだのようだ。


平成16年1月14日 --ノムラの考え(上)--

あきれてしまった。元阪神監督で現シダックス監督の野村克也氏が阪神の今岡を 痛烈に批判したというニュースである。

野村監督が阪神の監督になって、それまでレギュラーだった今岡がパッタリ 使われなくなったのはよく知られた話である。その期間があって、監督が星野監督に 代わってまたレギュラーとして使われ、昨年には大活躍をしてチームの優勝にも貢献した。 その今岡を指しての先日の野村監督の発言を、メディアが伝えたものをまとめると 次のようなかんじである。

あきれてしまう。自分の考えに合わなくて使わなかった選手があれだけの活躍をして おもしろくないのか、いずれにしてもこういった発言はどうかと思う。 逆に、今岡に対して「部外者が何を言っても気にすることないよ」と言って しまえばそれまでかもしれないが。

筆者は野村監督を嫌いなわけではない。野球は奥深いものだという考えに共感できるし、 メディアから伝えられる野球に関する言動を知るに、すごくいろいろなことを知っていて いろいろ考えている人だという気がする。ヤクルトを強くさせたかと思いきや 阪神で3年連続最下位だったので「名将」の評価も危ぶまれてきたかもしれないが、 「野球の戦術を練る人」「野球の作戦を考えて采配をふるう人」としては、 すばらしい部分は多くある人だと思う。負けたときなどに選手に対する批判ぽい コメントを出すことはどうかとも思っていたが、過去にはメディアを通して 選手の気持ちを引き出す(やる気を起こさせる)ようなことをやっていた監督もいるようなので、 そういう意図があったとは言えなくもない。野村監督がそれを意図していたかは 五分五分くらいな気はするが、今回今岡を批判したことは、結局やる気を起こさせるに しても自チームの選手でもなく、メリットもないのでそういう意図はないだろう。

筆者の野村監督評はそのくらいにして本題に戻るが、先のコメントはあまりに正当性がない。 自チームの選手を「育てる」という言葉だが、試合に出した選手は当然 「我慢して使い続けたことで育てた」と言えるだろうが、この言い分では 使わない選手も育てたということであり、結局は自チームの選手は全員育った ことになってしまう。それでは都合がよすぎる。まして今岡が大活躍したシーズンを 待ってそれを言ってしまっては都合がよすぎる。好き嫌いで選手起用をしないという点も、 カツノリ選手のことを考えるとちょっと説得力が弱い。「人は簡単に変われない」 ものを「試合に使わないことで選手が育った」と言ってしまっては、 やはり矛盾感も否めない。

評価の低かった選手が活躍したり、自分のあとの監督がチームを優勝させたり、 個人的におもしろくないと感じる事柄はいろいろあるのかもしれないが、 今回の発言は非常に残念である。阪神を勝たせられなかったからとて、 野球人としての評価がそんなに大きく落ちたわけでもない(少なくとも筆者の中では)。 今回の発言については自分でもおかしい部分があると感じていると信じたいが、 すばらしい部分も多く持つ人が、すばらしくない部分が多く含まれる発言をしていることが、 残念でならない。


平成16年1月5日 --年賀状--

年が明けた。今年も年末年始は実家でのんびり過ごした。31日はそばを食べたあと テレビを見ながら年を越し、元日は家族でお節料理。2日・3日は箱根駅伝を見たりした。 鶴岡八幡宮への初詣は3日の早朝に行った。例年と大して変わらない年末年始だったが、 今年はたまたまだが親戚とも旧友とも会わなかった。逆に暇にすら感じた 年末年始だった。

年賀状も例年と同じかんじで来ていたのだが、年齢が年齢だけあって、 「子どもが生まれました」と、赤ちゃんの写真入りで送ってくるのが多い。 これはこれでかわいくてほほえましかったりもする。ただし、何人かについては 子どもが「生まれる」「生まれた」などの情報を何も知らず、年賀状が来て 初めて知ったのもいた。もっと早く知らせてくれても、とも思うが、 逆に年賀状のやりとりすらしていなかったらいまだに知る由がなかったのかも しれないと思うと少し寂しい。細長く、年賀状のやりとりはやっておくべき なのかもしれない。

それにしても、赤ちゃんの名前、そのままでは読めないものが多い。 大学の野球部の同期、四人生まれた赤ちゃん(二人は一昨年)が「有輝七(ゆきな)」 「芙香(ふうか)」「日莉(ひまり)」「大航(だいご)」。ふりがながなかったら 一人も読めない(かな漢字変換でもだいぶ時間がかかる)。 読みにくい名前をつけるのもはやっているのだろうか。こんなところで 流行も感じてみたりもする。

年賀状でうれしかったのは、「陽三の年賀状を毎年楽しみにしている」といった 言葉が複数の人からの年賀状に書かれていたこと。年ごとにマンネリ化も否めず、 毎年どうしようかと苦心してもいるのだが、こういうコメントはうれしい。

(公開にあたって内容を一部編集)


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