陽三の「今週のひとりごと」集
(平成26年分)


平成26年12月29日 --スローライフ--

1泊2日で県内の温泉に旅行した。さいきんは旅行にもパソコンを持参するが、今回は 野球もオフシーズンということもあり、持参しなかった。いやあ、なんのことはない。 大事な、あるいは急ぎの、メールなどありもしない。 逆に、連絡を待っている件がいっこうに連絡がなく残念ではあったが(苦笑)。

スローライフな時間を過ごしてきた。

今年も1年間、おつかれさまでした。よいお年を。


平成26年12月23日 --4522敗の記憶--

「4522敗の記憶」という本を読んだ。本のことはなんとなく知っていたが、気をきかせて貸してくれた 野球人がいた。横浜DeNAベイスターズがホエールズ時代からセ・リーグ創設以来、プロ野球12球団の中で 最も多い4522敗を喫しており(2012年末まで)、そこから名づけられたタイトルだ。 ベイスターズがなぜこんなに弱いのか、を書きつづった本だ。

「個人として魅力のある選手はいる」「監督やコーチや選手を入れ替えても強くならない」 「むしろ他チームに移籍した選手は活躍し、他チームから移籍してきた選手は活躍しない」 「球団はチーム運営に方針があるのか」「そもそもチーム内の体質を変えないといけないだろう」...。 ベイスターズについてそのようなことは筆者もこの場で書いてきた。 筆者の考察は、神奈川新聞等のメディア、実際に観戦した試合、深くはない個人的な人脈、市内・県内での声... 等から得ているものだがこの本がすごいのは取材がとても深く多岐にもわたっていることだ。 選手として佐々木、石井、谷繁、鈴木尚、進藤、内川、古木ら、大洋時代の平松、遠藤、高木豊、市川、高橋雅ら、 かなり多く話を聞いている。経営側も、ベイスターズ初代社長の大堀社長、GMとしての役割を 担った山中専務、親会社がDeNAに変わる際の加地社長、若き現役の池田社長。 年代としての幅も広く、古くは大洋漁業がどうして球団を持つことになり、 昭和35年はなぜ1度だけ優勝できたのか、などの件にも触れている。 視点も多岐にわたっており、選手側、指導者側、経営者側の言葉から俯瞰するのみならず、 ドラフト戦略としてどうだったのか、練習はどうなのか、巨人等の強いチームと比較して何が違うのか、 そもそも大洋漁業以来、球団内にどんな体質が根付いているのか、等にも言及する。 弱い原因をつつくだけでなく98年はなぜ優勝できたのか、その数年前からの出来事をたどってもいる。

これはなかなかすごい本だ。「こうすれば強い組織ができる」というバイブルになるものでもない。 「こうすると弱くなる」というのをなんとなく感じはするものの、読者にこれから何かをしてもらう ことを意図した本ではないだろう。しかしながら横浜に住むベイスターズファン、という マニアからするととても合点がいくことが多い。「そうなんだよ、よく言ってくれた」 「やっぱり当事者もそう思ってたんだ」などなど。将来に明るい未来を感じさせるものでもないし (ただし暗すぎた10年ほどに比べればチームとしても改善は見られるようなことは書いている)、 なんらかのメッセージ性もあるわけでもないが、とても感心させられた。


平成26年12月15日 --予想報道--

マスコミでの「○○予想」って必要なんだろうか、と考えさせられた。

きっかけは衆議院選挙だ。筆者の読む神奈川新聞は、社としての意志もそうかもしれないが、 あくまで識者の言葉として「安倍政権に継続させては危ない。選挙に行かないことも信任した ことになってしまうのでとにかく選挙に行こう」といった記事を掲載していた。 危ないかどうかは個人の意見で、どう解釈するか読者次第だが、 掲載するのはそれはそれでよい。

並行して報じられる「自民党有利」「単独で300議席に迫る勢い」などの予想が問題だ。 結果的にほとんど当たったから精度としては優秀だったが、これを報じる必要があるかどうかだ。 結局「じゃあ投票しても何も変わらないのでは?」と足が遠のいた層もそれなりにいるのではないか。 なんのための予想報道か。投票率を下げるため、つまりは政権与党にリードされて掲載させ られたものではないかとさえ思ってしまう。

思えばプロ野球の順位予想も開幕前に解説者によって行われるが、これも意味をなさない。 当たったからどう、はずれたからどう、ということもない。はずした人が「すみません」くらいは 言うとしても。「横浜はBクラス」くらいの予想なら解説者じゃなくて一般人だって言える (し、それなりの精度で当たる)。


平成26年12月9日 --師走--

例年の年の暮れと同じようなものだが、おかげさまでいろいろな人と顔を合わせる機会で 忙しくなっている。高校同期のサッカー部・野球部の温泉旅行は10年近い恒例行事。 「3人で会う会」が2組、「4人で語る会」が1組、「納会」と名のつくものが野球関係で3件。 今回初めて、年始に高校同期の全体新年会の企画があり、その準備も少々。 マンションの管理組合関連の忘年会も新設し、今年はたまたまだが結婚式2次会も立て込む。 人に恵まれることはありがたいことだけれど、体に気をつけないと。


平成26年11月17日 --野球満喫--

土曜日。早朝に出発して7時すぎのあきる野市民球場到着。あきる野市長杯という野球の大会で 強豪チームと対戦。打ち合いを演じて1点差惜敗、課題は多く見つかるもよく言えば来年への収穫だ。 神奈川に戻り、サーティーフォー相模原球場にてナイターで別の試合。 メンバーと遅い夕食後、帰って寝て翌日日曜日、静岡県の東海大学松前球場にて練習試合。 これは若手中心のメンバーで勝利できた。2日で3試合。体力的にもきつく、笑ったり悔んだりの ジェットコースターだったが野球に染まった2日間だった。

2試合は所属チームでの試合だが、まんなかの相模原球場でのナイターは「神奈川ルネサンス」での試合。 このチームは神奈川県内クラブチームの32歳以上のベテラン選手がチームの枠を超えて集った、バーチャルの(?)混成チーム。 毎年オフシーズンに1試合をこなして5年目。毎回みんなが集まれるわけでもないが、 今回は年齢の近い創設時のメンバーも多く参加できて、とにかく楽しかった。試合は負けたのだが 楽しかった。最終回は「みんなで陽三に打順をまわせ!」とばかりに盛り上がり、あとワンアウトの ところで粘って本当にまわしてくれた。かろうじてバットに当たったもののボテボテのキャッチャーゴロで 試合終了。いやあ、でも盛り上がりはすごかった。

実は今年だけ2試合でき、10月の1試合は34歳ごろの "若手" の活躍で初勝利をあげていた。 そう、神奈川ルネサンスは昨年まで勝ったことがなかったのだ。今週の第2戦は40歳前後、年長のヤジ将軍 ばかり増えて結果は伴わなかったがちがう雰囲気の2試合を戦えた。 ふだん敵同士のメンバーがこうしてお遊びでチームを組むことに後ろ向きな意見を唱える者もいる。 ただ、参加した皆がこれだけ楽しんだのを見てみると、取りまとめ役として、またがんばろうと思える。

集合写真の変遷が、チームになってきた様を感じさせるのは気のせいか。
(左から2011年、2012年、今回)


平成26年11月10日 --野球人の選択--

中日が育成ドラフトで指名した佐藤という高校生投手が契約しないことになったという。 社会人野球に進むため、という。どこの企業に進むのか報道されていないとは思うが、 ドラフト上位指名を含めて複数の投手をプロに引き抜かれてしまったある企業が 自軍の戦力低下を懸念して戦力補強のために佐藤を獲得したいと動いたのではないかと、筆者は邪推している。

周囲の事情はともかくとして、本人の判断としてなかなか難しい話だ。 プロ野球選手になりたいという目標は多くの野球少年が抱くものと思うし、 ドラフト指名順位は何位であれ指名されたならばその目標に大きく近づいている。 そういう意味ではすなおに契約してしまえばいいではないかと思ってしまうが、 人生をトータルで考えるならば不安は大きい。プロ球団と育成選手として契約した選手が 大成する例は、巨人・山口などが代表的な例としてあげられはするもののまだまだ少ない。 ドラフト上位指名選手と異なり、引退後に職員として球団に残る可能性も皆無だろう。 社会人野球に進んで将来にもう1度プロからドラフト指名されるべく自身をレベルアップさせる、 という選択はありえる。野球選手として大成できなかった場合の職業も、プロ野球選手に 比べれば不安が少ない。ただし本当に野球選手として生きていくことを目指すならば、 仕事をしながらの社会人野球、学業をしながらの大学野球、よりも、高校卒業時点で 指名してくれたプロ球団があるならばそこに進んでレベルの高い野球だけに漬かる時間を 過ごすのがいいようにも思う。

どう生きるかの人生観にもつながる話なので個人にもよるし、どれが最善か決まるものでもない。 ただし現在は高校生はドラフト指名を希望するならプロ志望届を提出することになっており、 佐藤も当然提出したから指名されたものである。チームは甲子園に出場したとは言え自身は登板機会なく 敗れているし、即戦力の上位指名というよりは将来性を買っての下位・育成指名ということも 容易に想像できたはずだ。それでもと覚悟を決めて志望したものだと思っていたし、 翻意した真相はわからないが、少々残念ではある。

本筋からは脱線するが、野球を職業としていくことを目指さないならば、野球人の経験として 大学野球という選択はよいと思う。高校野球に比べて時間や自由度が大きい中で自分を どう律するか、個人はどうレベルアップしてチームはどう勝つか、など考えなければ いけないことが飛躍的に増える。負ければ終わりのトーナメント形式が主流の高校野球と 比べてリーグ戦形式が主流の大学野球では、技術・精神・体力各面を維持する工夫も必要だ。 人によっては学業の他にアルバイト等との調整も考えなければならないだろう。 ただ、その中で野球人としての幅はだいぶ広がるように思う。悪い面ではいやな大人の 人間関係や腐った組織の内情も、高校生に比べれば目にしやすい(腐っている度合いは 高野連がダントツとしても高校生が直面する機会は多くない気がする)。 皮肉をこめて言えばそれを見るのも勉強になる。


平成26年10月28日 --杏林と横須賀--

杏林大学野球部が初めてリーグ代表として上位大会(明治神宮大会予選を兼ねた関東大学選手権。 横浜市長杯という冠もついている)に出場。その試合を見に横須賀スタジアムに行ってきた。 初戦敗退に終わったが、創価大に次ぐリーグ2位として出場を果たしたことはなかなかすごいことだ。

少し格上だった杏林になんとか勝てないかと考え抜いて 2連勝できた筆者の大学4年春から18年半。その間、杏林はリーグ代表として 上位大会に出場するまでになり、母校との差は広がる一方だ。まあそれはスポーツなどに力を 入れる選択もできる私立大学と、なかなかそうもいかない国立大学とで立場も違うので ある程度しかたない部分ではあるが。

訪れた横須賀スタジアムこそは22年前に筆者の高校野球最後の夏が終わった、当時追浜球場と呼ばれていた球場。 その先野球をやるかどうか考えてもいなかった自分の、野球人生に終止符を打つかもしれなかった場所だ。 その後1年もたたず大学野球に関わって杏林というライバルチームにも出会い、より 野球にのめり込んで大学野球から社会人野球へと、今も筆者の野球人生は続いている。 杏林がすべてではないが、大きな存在であることは言える。 そのライバル・杏林が長い時間をかけて飛躍してたどりついた初の上位大会がこの 横須賀スタジアムであったことに、不思議な縁を感じる。そしてそこで感じたほろ苦い敗戦。 追浜球場は横須賀スタジアムと名前を変えてもう1度筆者の苦い場所になった。

現役時代の激闘のおかげか、在任23年となる杏林のN野球部長とは今も続く個人的なつきあいがある。 横須賀から中華街に移動して残念会をした。敗退後に涙ぐんだN部長の気持ちを、 ある意味では杏林の部員よりも理解できるかもしれない。そんなことも感じた一夜だった。


平成26年10月22日 --平和を考える--

先日、「平和憲法を考えるシンポジウム」に行ってきた。集団的自衛権はこれでいいのかと漠然と思ってはいるが、 無視できない数の賛成派もおり、そもそもなぜこんなものに賛成なのかという問いに対する答えが感じられれば、 という期待を持って行った。目玉企画に、精神科医・香山リカ氏の講演があった。ユーモアもあって 楽しく、話にも引き込まれ、筆者の疑問も一部解消した思いだった。簡単に要約すると などのことから、個人の内的不安を外部要因に責任転嫁する「心理の投影」が起きて、 自分の不安を外部の敵を攻撃することで解消しようとする心理になる、というような話だった。 むろんこれは一精神科医の一見解であって賛同しない方がいてもそれはそれでいい、という スタンスの講演ではあったが、わかりやすくは感じた。首相も一個人の内的戦いを国家にまで投影しているのではないか、 というところまで口は滑って(?)、拍手喝采でもあった。たしかに集団的自衛権のことのみならず いろいろなことを「政治が悪い」「国が悪い」「自治体は何をやっているんだ」と、 のきなみ外部の責任にする "個人の自分力の弱さ" をさいきんとみに感じており、そのことに対しても 説得力があると思った。願わくば集団的自衛権に賛否両論の人がいて賛成側の意見も聞ける、 のような仕組みだとなおよいと思ったが、今回のシンポジウムは講演者も聴衆も、反対側の意見が大勢だったようだった。

いるのかな、賛成派? いてもこういうシンポジウムに来ないのか。


平成26年10月6日 --旅--

職場に新人が配属されてきた。「何年目ですか?」と聞かれて即答できず、「16年目か17年目、 くらいかな」と答えた。そこそこ長くなったものだ。(17は言いすぎた)

そんなことから、そういえば勤続15年でのリフレッシュ休暇を、来年度にもらえるはずだと気づいた。 何をしようか。単純には旅行が思い浮かぶ。勤続10年のときの休暇は、まだ単身だったので ひとり旅で沖縄に行ってきた。さて今回はどうなるか。

旅行がなぜそんなに好まれるのだろうと考えると(そもそも好まない、という人もいるかもしれないが)、 非日常であるということが大きいのだろうか。ふだん見られないもの、できないこと、飲食できないものなどの 経験。飲食については自分で手配せずに食べられることも多い(旅じゃなくても可能だが)。 社会人ならば仕事に追いかけられず、主婦ならば家事に追いかけられず、時間・空間を楽しむ ことができる。そういうことが魅力なのだろう。

思えば両親も我々息子たちを旅行に連れて行ってくれた。祖父母が楽しんでくれた、楽しませてくれた、 とか泊まった旅館の料理がおいしかったとかの思い出もあるが、親の方も非日常を求めていたのだろう と考える方が自然にも思う。結局は小学校高学年にもなってくると 自分の場合は少年野球であまりまとまった休みが取れなくなり、中学校以降は部活動と塾で なおさら。また、親と出かけることに嫌気がさしてくる年齢もこのころであり、 家族旅行という形は自然消滅していく。 たぶんそういうことが、親から子へ、めぐりめぐるのだと思う。


平成26年9月23日 --大学野球の改革--

「だからどうするのか」という対案があるわけではないのだが、大学野球の 各連盟の改革が盛んだ。

大震災によるナイター懸念、試合時間短縮の流れから全国大会(大学野球選手権)に タイブレークが導入されたのを機に、各地方連盟でもタイブレークを導入する連盟が出てきた。 神奈川リーグでは9回同点ならば10回からすぐに、両チーム1死満塁から攻撃が始まるタイブレークだ。 トーナメントではなくリーグ戦ゆえに「引き分け」があってもいいと個人的には思う。 しかし全国大会で実施される以上、その練習の意味合いでもふだんのリーグ戦でやっておくことに 意味があるという考えもあるようだ。

東都リーグ2部は使用球場だった神宮第二球場との兼ね合いもあるだろうが、 対戦校同士のホームアンドアウェイ方式となった。A大学とB大学の対戦を、土曜日にA大学、 日曜日にB大学のグラウンドで実施する。1週に2カードしか消化できなかったのが3カード 消化できるようにもなり、日程編成も変わる。また球場の都合に影響されないので 「土日は球場を使えず、平日に授業を休んで試合をしなければならない」ことからも解放される。

首都リーグにいたってはリーグ戦のチーム数まで変えてしまった。だいたい各部6チームとして 多部制を敷くのが一般的な大学野球であるが、これを1部8チーム、2部7チームの編成に変えた。 1部リーグ戦は8チーム総当たりで試合数が増えるために勝ち点制を捨てて試合数固定方式。 試合数固定ゆえ土日で試合を消化できるので平日に試合が入らない(雨天順延は別)。 なお1部下位、2部上位の2チームずつで入れ替え戦を実施する。

そして今期から関甲新リーグだ。もともと南は山梨、東は茨城、北は新潟まで広範囲をカバー していたこのリーグは日常のリーグ戦も大変だったと思うが、1〜3部の多部制を捨てて 「山梨・長野」「埼玉・栃木・茨城」「群馬・新潟」の3地区制を敷いた。 各地区でリーグ戦を行い、その上位が集まって総当たりで順位を決めるようで、アイデアとしては 3部制だった東海地区連盟が静岡・岐阜・三重の県別リーグ戦を実施するようにしたのに近い。 リーグ戦遠征の負担が軽くなることと、下部から1段ずつ昇格しなくても1シーズンで優勝も 狙える利点もある。
個人的には山梨・長野に新潟を加えて「川中島リーグ」にしてほしかった気も。

ここで言いたいのは筆者の出身連盟・東京新大学リーグに目立った改革がないことへの不満ではない。 ずいぶん自由度が出てきたな、という感想だ。各自が自由に発想することも、トップが 特に強制していないことも、いいことではある。大学野球が1リーグ6チームで行われることも、 総当たりのリーグ戦であることも、勝ち点制で順位付けすることも、おそらくは最も 歴史のある東京六大学リーグの形をベースにしているはずだ。それになじんだ者としては 当たり前の感覚でもいたが今回の度重なる改革は「あ、変えてもいいんだ」ということに 気づかせてくれたとともに、各リーグが東京六大学リーグという存在を特別視する こともないと思い始めたのかな、とも感じる。どれもレベルアップに直結する改革とは 断言しづらいまでも、今年の全国大会は優勝チームが首都リーグから、準優勝チームが神奈川リーグから出た。 東京六大学リーグではない。


平成26年9月8日 --マニュアル--

ゆとり世代についてある同志とメール交換する機会があった。ほとんどをはしょるが、 「ゆとり世代はマニュアル通りに実施するのは得意。マニュアルにないことを自分で 考えて実施するのは苦手なので『それくらい言わなくてもわかるだろう』はダメ」 といったことを筆者は書いた。(セミナーで得た知見及び自身の経験より。もちろん、 その世代全員が、ではない。)

今はまだ若者の「ゆとり世代」だが、恐いのはいずれこの層が政治の、社会の、経済の、 リーダーになっていくときが来るであろうことだ。 総理大臣もゆとり世代から出るかもしれない。今の総理大臣にすでに問題が多いので 先の総理大臣を心配するのは愚かなことかもしれないが、そのときにアメリカとの関係は どう解釈されるのかということにふと興味を持った。

「アメリカの言う通りにしろ」なんてマニュアルに書いてないから 集団的自衛権も自衛隊も、もうアメリカに左右される必要ないんじゃないっすか?

などとなってくれるなら多くの国民は拍手喝采、そこまで読んでゆとり教育を 施していた先見の明にも拍手喝采、なんてことになるのか? いやいや

「これまでアメリカの言う通りにしていた」ということはそれこそがマニュアル。 それに沿ってこれからもそうしましょう。

になるのか。どんなマニュアルを作るかが、ゆとり世代より少し上の、 現中年世代の責任、になるのだろうか。


平成26年9月1日 --高校野球の指導者--

延長50回完投とか、投手の負担を考えたらたたかれるか禁止すべきだろう。 軟式だとそんなに騒ぎにもならず「すごいね」で終わっちゃうのか。 おっと、先週は「やらせておけ」と言った部外者がよけいなことを言ってしまった。

しばし前に大学の指導教官である小谷先生の退官記念パーティーに参加したことを書いた。 パーティーでの会談時、高校野球に関する話も少し出た。

筆者は野球の作戦を考えるコンピュータプログラムを大学・大学院で研究したわけだが、 小谷先生は、それをしっかりしたものにして全国の高校の野球部に配布すればよい、 とおっしゃった。全チームの采配をそのコンピュータに任せることで、純粋に高校生の 能力同士の対戦とすることができる。なるほど突拍子もないアイデアを連発する小谷先生らしい。 どういう意図か「そうすることでオヤジども(高校野球の指導者)をすべて追い出してしまえばいい」 ということにまで意見は及んだ。

この指摘は示唆に富むが現実的ではない。高校生の能力だけの対決にしてどこが強いかを 競うという発想はおもしろいし、ある意味ではあるべき姿かもしれない。 ただ、監督の(特に高校野球の監督の)役割は目の前の1試合の采配にとどまらず、 日常の技術指導、戦術指導、人間教育、場合によって優秀な中学生のセレクションや 練習環境整備、練習試合計画、教育委員会や高野連とのやりとり、予算獲得にも及ぶ。 OB会、父母会等の組織が存在すればその対応も必要だ。 それらすべての総決算が夏の甲子園大会(およびその予選)になるという構図だ。 そこまでをコンピュータに実施させるのはまだ遠いだろうし少なくとも筆者のプログラムでは範囲外だ。 そういうしがらみをとっぱらってしまえという発想は買える部分もあるのだが... 日本野球の根幹をなすと言える高校野球で人間の指導者不在になったときに、 今度は技術レベルが劇的に下がるだろうなあ。


平成26年8月26日 --高校野球--

夏の甲子園大会は大阪桐蔭の優勝で終わった。 しかし、インターネットやSNSが普及したせいなのか、細かなことでずいぶんといろいろ 言われることが多い大会だな、とあらためて思う。 それだけ注目度が高いというか、見ている人も多い、国民的行事なのだろうが。

スローボールを投げるのがいいのか悪いのか、大量点差での盗塁がいいのか悪いのか、 おにぎりをにぎる女子マネージャーがどうの...。 今年ではないがファールをたくさん打つカット打法にあとから高野連が口出しをしたこともあった。 高等学校の部活動が教育の一環であるという立場もあるのかもしれないが、 部外者がどうのこうの言わなくていいではないか。やらせておけ。 ま、それでいじめ問題も起きたりしているのかもしれないが(そっちに口を出せ)。

さて、相反するように、ほぼ部外者状態の卒業生である筆者から母校について少し。 秋の地区予選を1勝2敗で終えた母校は「春・夏・秋の、年間公式戦0勝」を免れた。 秋の県大会には進出できなかったが、この1勝が来年への礎になると信じたい。 0勝で終わっては何をよりどころに、何をどう努力するかもよくわからないかもしれないが、 公式戦の1勝は「こういう形で勝つことができる」というものを体現したと言える。 来年に向けての成長をささやかながら願う。


平成26年8月18日 --お盆--

いろいろあった大会、準決勝戦敗退で上位大会出場権を逃した。 事実上、今季の公式戦を終えてしまった。8月17日にして終戦だ。

いろいろなことがあった。初戦の15日を迎えるにあたって、訓示と言ったら 大げさだが、試合途中の正午に黙祷の時間を挟むことを受けて部員には

自分も戦争を知らないが、チームにはご家族が被爆している方もいる。集団的自衛権のこともあって みんなか、みんなの子どもや孫が戦争に関わることもあるかもしれない。 戦争はそんなに遠い話じゃない。直接悼む方がいない部員も無事に野球ができることに 感謝の意を込めた黙祷というのもあっていいと思う。
という話をした。個人的には6日8:17、 9日11:00と少しずつずれた黙祷に続き3度目の黙祷をささげ、過ちは繰り返しませぬよう (繰り返そうとしている輩もいるようですが)微力ながらがんばりたいと思います、と念じた。 その初戦を辛勝。しかし1日空けた17日の準決勝戦ではコールドで敗退。 どちらに転んでもおかしくない序盤の展開をつかみきれず、じりじりと差を広げられてしまった。 気持ちとして消化不良の試合をしてしまった。

個人的には大会直前に発熱し、試合の日には体は大丈夫だったが試合途中から声をからせて しまった。15日夕刻には地元にて高校の学年同窓会、の事前打合せ飲み会。 大会中かつ体調復帰後で飲酒はしなかったが楽しく懇親した。おかげでよけいに声がかれたと言える。 参加する女性陣、40歳の大台にして川本真琴をゆうに超える美形を保つ。 同年齢から見るからかもしれないけれどきれいな40歳は多い(20歳から見たらオバサンかもしれないが)。 そういうことを言っていると妻の怒りを買う。


平成26年8月4日 --40歳の監督--

先週は夏休みだった。自宅にいて神奈川県の高校野球などをテレビ観戦していた。 優勝は東海大相模に終わったが準優勝は向上だった。決勝戦は大差となってしまったが よくここまでがんばったとも言えよう。

向上の監督は平田監督と言い、決勝戦の翌日が40歳の誕生日と放送されていた。 前から名前も年齢も新聞報道では知っていて、「同期か1学年下かなあ」とは思っていたが 同期であることが確認できた。試合中継の中では「将来は平田監督のような熱い気持ちを 持った人になりたい」というような選手コメントが紹介され、スタンドの控え部員が 着るTシャツには「平田一家」の刺繍も入る。この監督が選手に慕われ、一体感を持った チームであることを垣間見ることができる(実際は仮に多少の陰口があったりするとしても)。 ぜんぜん立場が違うとはいえ筆者もチーム内では高校生や高校を卒業したての選手と 接する状況にはある。果たして平田監督ほど慕われているのか、いやぜんぜんだろう。 同学年にして高い人間力を持った人を知り、感心する思いだ。

名前も年齢も知っていたけれど顔は知らず、今回初めてテレビで見た。 高校生と並んで映るからということもあるが...普通にオジサンですね。 自分もそうなのか...。


平成26年7月21日@ --テレビ番組--

コンスタントに更新できればよいのだろうが、それができないうえに書きたいときに一気にたまった。 3編ほどまとめて。

テレビ番組がどうしようもない。なのであんまり見ていない。画面の中で芸能人同士が ワイワイガヤガヤ、バカにしあったり騒いだりしている構図のものがとても多い。 そういう影響なのか、実世界でも他人をバカにすることで笑いを取るような者も散見されて、 人間性の貧しさも感じる。テレビの中の芸能人はまだ、バカにされる(よく言えばいじってもらう) ことで名前が売れたり個性が引き出されて「おいしい」ことはあるかもしれないが、一般社会は同じではなかろう。

そんなことは日々感じていたが、サッカーのワールドカップについてテレビ放送の愚かさを 書いたコラムに出会った。筆者の主張と同じではないものの共感できる部分が多く、 「よく言ってくれた」の思いは強かったので紹介する。

アイドルと芸人が台無しにしたW杯関連番組


平成26年7月21日A --特定条件--

少し前だがオスプレイの話を書いた。 不信に思っていたオスプレイが神奈川県上空を飛ぶに至った。 安全性について専門的なことは言えず、まったく事故が起きないのかもしれない。 もちろん今のところ直接の被害も受けていない。しかし憤りは強い。 大きな事故が起きるまでは好き勝手にバンバン飛ぶだろう。

所詮アメリカ人が日本人を見下しているのだろうという前提はあるが、 だいたいが「○○の場合に限って」「△△を除いて」「極力××する」「原則として〜〜」 などの文言になっているからなんでもOKになってしまう。 この件には集団的自衛権の問題にも通じるものを感じる。「日本を脅かす明白な危険がある場合に限って」 とか言ったって「総理大臣である私が明白な危険と判断し、国民の皆様をお守りするために自衛隊の派遣を決断しました」 とかいうことになるんじゃないのか? まあ、これは極論で「総理大臣が決めるもんじゃないよ、お前は勉強不足だ」などの反論があるのだろうが、 問題にしたいのはちょっとだけ穴を開けたあいまいな文言は全部スルーになってしまうので 穴を開けるべきじゃない、ということだ。


平成26年7月21日B --勝敗--

母校(高校)は夏の大会、1回戦敗退だった。これで硬式転向通算120勝126敗4分。 今春から教員の異動によって指導者は変わったが、チーム力がいきなり大きく変わるものでもない。 長い道のりになるだろう。
参考:関連するひとりごと

プロ野球では横浜ベイスターズの井納がオールスター前に9勝5敗の成績で セ・リーグ最多の勝利をあげている。これはなかなか、いやかなり、たいしたものだ。 横浜では先発に勝利が記録されづらい(ここ数年、そうである気がする)。 そもそもチームの勝利数が少ないということもある。また、打線がリーグNo.1だ とか言われていた時期でも、大勝している試合で荒稼ぎしたり一方的な負けゲームを 追い上げたりする攻撃力はあっても、競った試合の大事な1点を取ることが苦手であり続けた。 だから先発投手ががんばって投手戦に持ち込んでも登板中に勝ち越し点をもらえない。 なんとかリードして後続の投手につなげば、今度は後続の投手が追いつかれて先発投手の 勝利は消える(さらに二転三転してチームは勝利したとしても)。 最たる例は三浦であって、彼本来の力ならば23年目の今ごろは200勝を越えていておかしくない とも思うが、記録されなかった勝利は数知れず、現在160勝超くらいだ。 そう考えると井納が先発投手としてリーグトップの勝利数、そして貯金も作っているという ことは非常に価値が高い。

井納のみならず久保も8勝をあげて続く。開幕時先発ローテーションに入った6投手の中で 三嶋・三浦・尚成と3人が未勝利(三浦は先日今季初勝利)ではあるが チーム全体として少しずつ違う戦い方はできているかんじもある。 上の順位へも近くはないが、少しずつでも上がってもらいたい。


平成26年7月1日 --交流--

居住するマンションの住民による懇親会があった。 入居2年超がたってようやく初めての懇親会は、町の自治会館を借り切ってケータリングでの 立食形式。それでも子どもを合わせて50人前後が参加し、大いに盛り上がった。 とてもいい会だった。

同じ日の午前中には総会が開催され、第3期(3年目)の役員が承認された。初代はくじ引きで 選ばれて図らずも筆者が理事長に。輪番制を提案・可決して第2期に無事引き継いだのが1年前。 当たり前ではあるが、今回は自分が関わらずとも無事に第3期に引き継がれたことに、 ひそかな安堵と感慨を感じてもいた。さらに懇親会の自己紹介では第2期理事長が 「初代の山口さんは独身で理事長になって結婚。私も独身で理事長になって任期中に結婚しました。 (拍手) 3期目の理事長も続いてくれるでしょう。」みたいなあいさつをした。 あとで聞くと今回就任した第3期理事長は独身かつ結婚願望あり、のためにジンクスにあやかって 理事長に立候補したとのこと。そんな伝説まで知らないところでできあがっていて、うれしいやら 驚くやら、であった。

同じ空間で生活しているとは言っても生活時間帯のずれなどで顔を合わせない方々がほとんどだ。 近年言われる「となり近所との付き合いの希薄化」とも関係はあろう。 総会があれば多少は集まるが今回、総会は欠席でも懇親会は出席という世帯もあり、 新鮮な出会いだった。こんなにも子どもがいたのか、こんなにも独身がいたのか、 こんなにも近い世代がいたのか、横浜出身多いな。 終了間際には数人と連絡先を交換し、そのまま居酒屋での2次会に流れ込んだ。 管理人の話、買い物の話、ゴミの話、マンション内インフラの話...部外者から見ればどうでもいい話だが、 だからこそここでしかできず、共感も多くてとても盛り上がった。

これは筆者個人の性格でもあるが、本当に打ち解けられるとウェットな人間関係を好むが、 そこまではドライな人間関係を保っておくことが多い。初代の理事仲間とは、居心地のよさは 感じていながらも酒席を囲むこともお互いの連絡先の交換もしていなかった。 出身・年齢・職業などもあえて(?)知らない同士を通していた。 初めての全体懇親会を初代任期中に開催できていれば、またやってみて大成功を 感じるがゆえに、2年も遅れた責任の一端を自分が問われて仕方ないかもしれない。 でも、少々時間はかかったけれど、何かのスタートが切られた気がする。 周囲の人間力に感謝する、楽しい一日になった。


平成26年6月29日 --庶民感覚--

式田ティエンは新聞コラムで「テレビニュースが情けない」と書く。テレビメディアがこぞって 首相の言い分を流すだけで中立な立場で論評することがなく、広報の役目しか果たしていないということだ。 ただ、新聞についてはそうでもないと感じる。 まさにコラムが載った神奈川新聞は、安倍首相の考えに反対する立場に立つことが多い。 各種の問題(原発再稼働、集団的自衛権、憲法改正、経済政策等) に一応賛否両論の意見を載せようという意志も見えるが、主張としては 反対側の主張と見え、そういう意味では一般庶民の目線であることは感じる。

その新聞を購読するからなのかもしれないが、安倍首相一人がおかしな考え方ばかり 掲げているのだと思っていた。少なくとも一般庶民とは反対側の考え方を掲げていると思っていた。 ところが世論調査では原発再稼働に36.8%、集団的自衛権に34.5%、 それにまつわる憲法解釈変更に29.6%、与党支持率自体も52.1%と、 無視できない割合の人々がこれに賛成しているという(神奈川新聞より)。 なんでこんなものに賛成なのかとも思うが、神奈川新聞一紙の購読ではその答えが見つけづらい。

「戦争したくないなあ」「原子力に頼らない安全な世の中がいいなあ」「必要なら正々堂々憲法改正すれば?」 とか、議論することなく普通に感じることかと思うのだがな。 そうじゃない人がいるらしいんだから、世の中、難しい。


平成26年6月16日 --仙台の34年--

東海大の優勝で幕を閉じた全日本大学野球選手権だが、これに 仙台大が出場した。社会人野球を通して知り合った知人に 仙台大の卒業生がおり、出場が決まったその日にFacebookで祝福の連絡を入れた。 「優勝は34年ぶりだが神宮(全国大会)は初めて」ということを教えてくれた。 34年ぶりなどという数字がよくすぐに出てくるな、と思ったが彼が満34歳であり、 自分が生まれた年を最後に優勝していない、などの認識の仕方をしていたのだろう。 なお、34年前は優勝はしているが全国大会には出ていないとのこと。 おそらく単独出場権を持っておらず、他リーグ優勝校との代表決定戦で敗れたのだろう。

仙台大が所属する仙台六大学リーグは東北福祉大の牙城。リーグ戦を見たことはないが ほとんどのシーズンは東北福祉大が優勝を飾っており、ごくたまに、西武・岸の母校である 東北学院大が優勝する程度。仙台大はNo.3の位置づけと見えていた。 彼が所属した4年間にしても、詳しくは知らないが東北福祉大に何勝かはしたとしても 順位を上回ったことはないだろうし優勝はもちろんない。いずれこの日が来るという 認識・期待があったのかどうか知らないが、その「時の重さ」を考えると、 今回の初出場は大変喜ばしい。初戦突破を飾った日の彼のFacebook、多くの卒業生が 応援に駆け付けた様子が見て取れた。

ひるがえって自分の母校はどうか。現役時代もそんなに強かったわけでもないが、 今はそのときよりもさらに下回っている。OB会では「現役が勝てばOB会も盛り上がるんだけど...」 という発言をするOBもいるが、それは盛り上げるために何もしていないOBの言い訳だと 筆者は思っている。まあそれはそれとしても、「いつか甲子園に出るかも」「いつか神宮に出るかも」 という期待を、まずもって持てない。現実的にも、神奈川の高校野球界で公立高校が 甲子園に出ること、古豪以外にも力をつける大学が増えてきた東京新大学野球連盟で 国立大学が神宮に出ることが、とても確率が低いことだと理解できている自分もいる。 卒業後の期待まで考えて強豪野球部のある学校を進路に選択しなかった自分の結末でも あるけれど、その気持ちの持って行き方は意外と難しい。でもたぶん、甲子園にも神宮にも 縁がなく終わる人は多い。

かくして仙台大の神宮出場を、あらためて祝福したい気持ちになるわけである。


平成26年6月2日 --ルーズヴェルト・ゲーム--

日曜日夜にTBSでやっている「ルーズヴェルト・ゲーム」を見ている。 当初は見ていなかったものを「社会人野球のことをやっているし、野球をデータで見たりして、 君なら興味を持てるだろうから見てごらん」とすすめられ、本当におもしろくて見続けている。 細かなところで実際の社会人野球(都市対抗野球、およびその予選)と比べて少々違和感も 感じるが、おもしろい。世間でそんなに有名でもないであろう社会人野球を題材にして くれたという点が興味深いしありがたい。またビジネスとしての会社同士のかけひきも、 メーカー勤務の身からするとおもしろい。昨日の放送からはスポンサーである東芝の CMとして野球部のプレーシーンを使ったものが流れ、これは我々のチームとの対戦で撮影したもの。 ちょびっとだけどうちの選手のかけらも映り、うれしかったりする。


(左打者の足がうちの選手!)

ただ...唐沢寿明主演だからなのか。NHKドラマ「メイド・イン・ジャパン」とどうも 近いものを感じてしまうのは気のせいなのか。経営が苦しくなってきた老舗のモノづくり企業を あの手この手で唐沢寿明が立て直そうと奔走するあたり...。


平成26年5月13日 --教師の優先度--

高校1年生の担任になった高校教師が入学式を欠席して高校1年生である自分の子どもの 入学式に出席したことをどう評価するのか。一時世間をにぎわせた話題に、 どこかで聞いたような話だとも感じていたが、そうだったのか。同じ命題に自分がぶち当たった ことをあとあと思い出した。

高校時代にお世話になった教師が退任するとの新聞発表が、ある年にあった。 その学校(その教師は今は筆者の母校には勤務していない)の退任式の日程を調べ、4月のある日、 仕事は休暇を取って退任式に向かった。昨今の学校は部外者が出入りすることに うるさいのではないかと不安に思いながらなんとか体育館にもぐりこんで 末席から退任式を眺めるも目当ての教師はいない。なんらかの情報ミスがあったかと 式のあとに事務室を尋ねる。「○○という教師はいらっしゃいますか?」「もう退職しています」 「今日の退任式にはいらっしゃっていますか?」「いえ、来ていないと思います」。

退任したときの教師の年齢は50歳のはずで、区切りはよいが定年ではない。 なんらかやめざるを得ない事情があってのことかもしれないが、退任式を欠席というのは いかにも残念だ。退任の理由はなんにせよ、在校生に最後のあいさつはないものか。 この日の退任式だって、生徒たちは静かに退任する教師の話を聞き、花束の贈呈があり、 中には涙ぐむ教師がおり、中には卒業生らしき若者が記念撮影を撮りに来た教師もいたのだ。 あるいはお子様がたしか18歳になっているので大学なり専門学校なりの 入学式に同伴したのか、とも考えたが、18歳にもなった子どもに親がついていくこともなかろう。 ついていってもいいが、教員生活の最後として勤めた学校の退任式よりも、優先度が 上回るものなのか。筆者個人がお会いできなかったからではなく、 とても残念に思った一件だった。(むろん、細かい事情は把握していないが)

会社員の権利として自由に休暇を取っている筆者が言うのは、甚だ筋違いではあるが、 そのとき感じた思いに素直にしたがうなら、教師は生徒を優先すべき職業である、 という考え方なんだろうな、自分は。いや、何人かの教師の知り合いはそうしている。


平成26年5月6日 --敗退--

クラブ選手権神奈川県予選、ベスト4で敗退した。目指していた全国大会出場、それどころか その前段階の南関東予選にも進出できなかった。張りのないゴールデンウィーク後半を迎えてしまった。

2回戦を大勝して迎えた準決勝戦も5回までに相手先発投手から4点を先制。 これまでなかなか打てなかった投手を攻略したかに見えたがその後追加点を取れず、 守備面のほころびが出て逆転を許し、4-6で敗退した。 厳しい組合せにも入ったし、今大会は接戦も多くてどこが勝ってもおかしくなく、 結果的に勝ち上がるのは難しかったとも感じる。それでも大きな自信があったわけでもない中で 準備としてはしっかり進めてくることができたし、相手チームの分析もかなり時間をかけ、 準備できていたと思っていた。だが肝心の自軍の弱点を埋めきれていなかったかもしれない。 やることをやったつもりでも結果が出なかったのだから何か足りなかったと反省しなければいけない。

戦力及ばず敗退という現実を突き付けられた一方で、ルール遵守、悪態などでも協会から注意を受けた。 組織力にまで問題があったことがあらわになり、ダブルショックだ。 もう1度、立ち上がらないといけない。今回、家庭を持った身でのこの大会に向けた準備は初めてで、 時間的にも精神的にもきついものはあった。今後毎年できるのか、一抹の不安もよぎるが、 でも逃げずに立ち上がりたい。


平成26年4月14日 --練習のコスト--

横浜ベイスターズがなかなか勝てない。今年弱いことと関係あるかわからないが、 ここ数年、感じていることを。

数年前だが「中日はよく練習する。6勤1休だ」「横浜はあまり練習しない」 「中日は強くて横浜は弱い」という話を何かで読んだ。このとき疑問に感じたのは、 プロ野球球団同士で練習量にそんなに差があるのか、ということだ。

我々、月給制のサラリーマンは高度経済成長時代は「たくさん働け」「たくさん売れ」 「たくさん稼げ」で右肩上がりの経済成長を実現してきたんだと思う。 しかし経済状況がそうでもなくなった昨今は

と言われる。働く量がコストに跳ね返るから、働く量を増やせばいいというものではない。

ところがプロ野球選手はどこの球団も年俸制であり、各選手は同じ時間を使うこともできる。 体が資本なので「練習しすぎてケガをした」というのは本末転倒であるが、 そうならない範囲で練習量を増やすことはコストに跳ね返らずに実力向上に 貢献するだろうから(線形増加ではないにしても)、みんなたくさん練習して 当然だろうと思っていた。これが高校野球ならば設備が充実して夜でも冬でも いろいろな練習ができる私立高校と、物理的にも空間的にも限られた環境で 活動する公立高校とで違いがあるという話もありえるが、現在のプロ野球12球団で 環境に大きな違いもあるようには聞かない(知らないだけかもしれないが)。 それが外部から「あまり練習しない」と評されてしかも弱いという、 あたりまえと思われる帰結を自ら導いている球団があることに強い違和感を覚えていた。 よく練習するけれど弱いなど、効率面での差は出てきてしかるべきだが、 量そのものが足りていないというのは話にならない。 練習量を減らしても人件費を削減できるわけでもないのだ。

そんな折、2月の2週間程度で久米島キャンプを打ち上げてあとは沖縄本島で 練習試合・オープン戦などを消化するという楽天が日本一になった。 他球団と比べて量(日数)が足りていないのにそれでいて強いのはどうしたものか、 と不思議に思ったが、あまり公にならないだけで、沖縄本島に移動して 金武などで練習しているらしい。まあ、それはそうだよな。


平成26年4月1日 --STAP論文--

小保方晴子氏の論文は、結局どういう真相なのかなあ。

他の論文からの引用は、するなら必ず出典を示すこと、というのは筆者ならばかなり初期の 段階で小谷教授からはきつく教わった。そのことすら知らなかったというのであれば 「研究者として未熟」というのはその通りだが、それはそれで考えづらい。 かと言って全部をうそで塗り固めた確信犯だったかというと、それもそれで、 そこまでしてどういうメリットがあるだろうかと考えると考えづらい。 うそをついてまでオリンピック招致...は、まだメリットがあるとの判断だろうが(←しつこい)。 名声をあげたかった、という程度の動機にしてはリスクが大きい。

未熟さに加えてケアレスミスが起きた、というところがそこそこ真相に近い話のような気もするが。 さてどうなるのやら。


平成26年3月25日 --別生活--

今年最初の、野球の大会があった。自分の試合は結果的に2試合。初戦で負けていれば1試合で 終わっていたものだったが、なんだかんだ、大会となると生活がふだんと変わってしまうな。 朝は仕事よりも早かったり、仕事を休んで不安もあったり。心身ともに大変で疲れる。

関連してだが、甲子園での高校野球をやっているが、ここ数年どうも実感がない。 なぜかと思うと春のセンバツは自分の春季県大会、夏の甲子園は自分の関東クラブ選手権県予選 と日程が重なるからだ。結局日中はテレビを見られず、帰宅後にテレビは見られるけれど やることが多くてそちらに気を配っていない。

疲れたけれど今大会、企業3チームに交じってのベスト4進出で終えた。 この経験を生かして次の大会でがんばりたい。


平成26年3月11日 --3年--

東日本大震災から3年がたった。経験的に、3年という時間は短くなかったものと思うが、 震災からのこの時間は「もう3年もたったのか」と感じる。職場でみんなで、ではあるが 14:46に黙祷した。

この日が近づくにつれ、テレビや新聞で、岩手・宮城・福島の特に太平洋岸の映像や 現地リポートが多く扱われた。1度とはいえ自分が足を運んだことによって、 これまでと違う感覚で情報に触れることができていることは感じる。 石巻市のことも多くニュースになる。もしかして見たことある人や場面が映るのか、 通った場所での出来事だろうか、とか。学校としては被害が甚大だった大川小学校では 遺族が市を相手取って裁判を起こすとも報じられ、複雑な思いにさせられる。 おそらく現地に向いていなければ「大川小学校」と、5文字の文字列に感じていたであろう 固有名詞が、自分の見てきた風景、そのとき感じた思いとともに、まさに「あの学校」 としてよみがえる。

復興は進んでいるのか、に対する答えはとても難しいと書いたが、進み方が遅いと感じる 人々が多いというアンケート結果はあるようだ。やっぱり目も足も、もっと 被災地に向くべきではないのだろうか。直接の関係はないものの、汚染水はコントロールされていると うそをついてまで東京オリンピック招致に注力した政治家、決まった瞬間に飛び跳ねて 喜んだアスリート、むしろ恥ずべきではないのか。


平成26年3月3日 --小谷先生の退官--

東京農工大学、および大学院で、指導教官としてお世話になった情報工学科の小谷善行教授が退官。 最終講義&退官記念パーティーがあって先日出席してきた。このコーナーでも何度か 紹介しているが、先生はやはりコンピュータ将棋への貢献が大きい。最終講義は必ずしも将棋の話が 多かったわけでもないが、終了後にあいさつにうかがった際、個別に少し話をできた。

陽三 「将棋でコンピュータが人間のトッププロに勝つのが2010年ごろだろうと 先生が予測されたのを覚えています。多少はスリップしたかもしれませんが いよいよですね」
小谷 「いや、人間のプロの平均に対してであれば超えているし今はプロ4位くらい。 2年以内にはトップを抜く。対戦するなら早くやらないと。」

といったやりとりだった。講義中の質疑応答でも「コンピュータ将棋の発展は全体としては予想の範囲内。 個別にはいろいろあるが、保木さんの機械学習は大きかったと思う」と、あくまで予想から それほどずれていないとおっしゃっていた。人間のプロに勝つというのがトップ相手なのか平均相手なのか、 やや微妙ではあるものの、さらに2年たって2016年だったとしてもそう悪くなかろう。

最終講義は難しい話でもなく生い立ちから自分の興味のあることをいろいろ話していただき、 楽しくもあり、奇抜さもあり、先生の人柄もよく出ていたものだった。パーティーでは ひさびさに周辺の学年の仲間とも再会でき、先生も我々を覚えていてくださり、楽しかった。 「まだ野球をやっているのか」というのは周囲の仲間によく質問された。野球人の中では 野球好きなど何も珍しくないが、情報工学の中で野球を題材に研究していたのは確かに稀有であり、 「山口陽三=野球」とみんなが認識してくれていたのはうれしかった。

パーティー最後のあいさつで、助手の教官も他大学へ転任ということが発表された。 研究内容やデータは転任先の大学でも引き継いでいくとのことだが、農工大から 人工知能の研究が一区切りしてしまうということか。これは意外と大きな事実と感じるし、 大きな局面に立ち会ってしまった。

農工大にこの学科ができたときから携わって37年間にわたり、一筋に勤めてこられた小谷先生。 今春は他にも古株の教官が2名退官され、筆者が知っている教官はほんの一握りになる。 パーティーの締めのあいさつで学科長は「残された者は覚悟が必要」といったことを話された。 たしかにそうだろう。ガシャンと音を立てて、時代が、大きな歯車が、一つまわった感覚だ。

情報工学において小谷先生が筆者に及ぼした影響が計り知れないのは当然として、 人生としてもわりと大きな影響をいただいたと、振り返って気づく。 指導教官と学生、という形で出会ったのが筆者が大学4年生のときなので人格や価値観としてはある程度 形成された後ではあったけれど、けっこう心に残る言葉をもらってその後の言動に影響があった。 「他人と違うことには価値がある。ひとと違うことをやりなさい。」「(好きな異性に) 交際相手がいればしかたないけれど、いなければどんどんアタックすればいい。」 などなど。同じ野球をやるにしても他の野球人とは少し違う角度から取り組もうともし、 普通の野球選手とは違う価値を出せる気はしてきている。 ダメもとでも女性にアタックして振られたのは数えきれないが(苦笑)、いい経験にはなった。 「どんどんやりなさい」「ダメだよ、そんなの!」それぞれの意味が込められた、 そんな短い言葉も今となっては思い出深い。

小谷先生、ありがとうございました。37年間、おつかれさまでした。



平成26年2月25日 --花咲くあした--

駆け落ちで突然いなくなって20年ぶりに舞い戻った夏木マリが、 35歳独身のお局様長女・小池栄子に恋愛指南。立場もタイプも人間関係も 異なる二人の男性から告白された小池栄子がどういう選択をするのか。 「本気の二股をかけちゃいなさい」との夏木マリのアドバイスを真に受けて 「本気の二股をかけます!」と両者に告げる破天荒な小池栄子。

なるほど。ありきたりのドラマの展開としては「どちらか一人なんて選べません」 となって両者を断って一人の道を歩む...なんてことを想像していたのだが、 「選べません」がために「両方を選ぶ」とは新しい。 NHK BSプレミアム「花咲くあした」、いいドラマだった。


平成26年2月18日 --都会の雪--

いやあ、関東圏の、雪に弱いこと。まあ自分も転びもしたし、車でコンビニの駐車場に入って 出るのに手伝ってもらったりもしたが...。それにしてもよく降ったね。


平成26年2月3日 --ドラフト会議のこと--

プロ野球のキャンプが始まった。新人が即活躍することも多い近年、今年はどんな新人が出てくるだろうか。

しばらく前だがプロ野球のドラフト会議にまつわるテレビ番組を見た。 生中継(最初の1時間程度、ドラフト1位指名までくらい)にいたっては初めて見た。 そのあと夜に同じチャンネルでやっていたドキュメント番組は2度目くらいか。

後者の番組は、片親で育てられ苦労したアマチュア選手がドラフト指名されるかどうか、 指名されて親ともども喜ぶ...などの構成で、中にはこちらまで泣きそうに なるものもあった。そうは言っても出演している芸能人のコメントに ことごとくイヤな気分にもさせられるが、生中継の方はまあ、なんともくだらない。 まず開始時にテーブルに着くまでに12球団が1チームずつ紹介されて入場。 会議なのだから最初から着席していればよいではないか。 ドラフト1位指名の中継なので全国的にも名の通った選手への交渉権が抽選になったり するのだが、解説者として招かれた元プロ野球選手も「あ、左手でクジを引きましたねえ」 「(指名したのは)左投手ですからねぇ」「ゲンを担いで服装は...」など 野球技術とおよそ関係のない解説。抽選が終われば交渉権を勝ち取った球団の クジ引き担当者へのインタビュー。そんなものを全国放送してどうするのか。

プロ野球選手というのはいろいろな意味で特殊な職業だが、このドラフト会議もまた特殊だ。 一般の社会人ならば、自分が入りたいと思った会社に、能力不足等で入れない可能性 こそあれ、入りたくなかったり志望も出していない会社に入ることになるのはまれだ。 それをまた、自分とは関係のない第三者のクジ引きで決められることもあるのだから より特殊だ。そういう意味で興味も引きやすく、テレビで放映してもそれなりに 見る人もいるのだろうが、ドラフト制度はともかく、テレビ中継は中止でいいのではないか。


平成26年1月28日 --ボランティアから帰って--

石巻から帰ってきた。

現地では共同生活を送りながらのボランティア活動だったが、生活をともにしたグループは 主に子どもの学びをサポートしているグループ。 「学校サポート」「遊び場提供」「託児所」の三つの活動を主にやっている。 学校サポートでは、これまでは人手の必要ないろいろなこと(ペンキ塗り、図書整理、プール清掃、もろもろ片付け...)を 手伝っていたらしいが4月以降は少し体制も変えるという。それについて石巻市内59校の小中学校を1校ずつまわって 説明やヒアリングを実施中。それに付き添う活動が全体の半分くらいだった。 もう半分くらいは遊び場の運営。仮設住宅の集会所を借りてブロックやらテレビゲームやらお菓子作りやら、を、 現地のママさんスタッフとで共同して運営している。 子どもに不慣れな自分も、7歳くらいの子どもたちに引きずり回されて、なんとかかんとかいっしょになって遊んだ。 ここも4月からはママさんスタッフだけでも運営していけるような形を模索していく...とのこと。 直接的な支援から、自立をサポートするような形態に変わっていこうという意思が感じられ、 いろいろなことの過渡期にボランティアに行ったかんじだった。

復興が進んでいるのか、という質問を、自分も聞いてみたいと思っていたが、 非常に回答が難しい質問だということを理解して帰ってきた。 住宅地が何もない原っぱに変わったという場所を目の当たりにする一方で がれきはあらかた片付いているし道路も整備され、工場も稼働している。 場所によっては新しく住宅地として予定されている場所もある。建て直されつつある学校もある。 結局元通りになるわけではないという意味で「完全な復興を迎えることはない」 という意見もあり得るだろうしそれも賛成だが、物理的な意味での復興は少しずつ進んでいるかも しれないと感じる光景もある。ただ、精神的な部分での復興が、特にこれからは課題なんだろうと感じ、 とある学校の校長先生にヒアリングしたときの、「細く長く支えてもらいたい」という言葉が重く響く。 いずれにしてもかけがえのない経験をした1週間だった。

ともに活動したメンバーは、年齢がバラバラで近い世代がいなかった。10歳くらい上のオジサン、 学生、大学卒業したての無所属、春から就職予定の若者...。自分より若い人たちが多かったが 高い志でしっかりと活動されていて感心もした。いい人たちばかりで、自炊・掃除・洗濯等の 共同生活もストレスなく取り組めた。筆者と同様、1週間限りのボランティアがもう1名いた。 富山県出身、春から教員として働く予定の同志とは、世代もだいぶ離れてはいるが「同期感」を 共有でき、ともにする時間も多少長かったこともあり、1番親しくできた気がする。 年齢じゃなくて同期って大事なんだな、ということも感じた1週間だった。


平成26年1月20日 --復興支援ボランティア--

会社の特別な休暇を使い、1週間のボランティアに参加している。 東日本大震災での被害も大きかった宮城県石巻市に来て、復興支援ボランティアに参加している。

震災を受けて、被災地のために何ができるだろうかとか考え、むろん募金など 直接、体を動かさない形での支援をしてきたつもりはあった。忘れないでいてくれることが 大事だとの報道に触れるにつけ忘れないようにと言い聞かせてはきた。 けれど、直接何かに貢献できてはいないなという思いはあった。 募金の事実さえ「偽善ではないのか」と心無いことを言う者もいて悔しい思いも ありながらもそうなのだろうかと自問したりもした。

今回参加した支援プログラム自体は前からも募集されていたもので、 それでも仕事とか野球とか、自分の中でどこかで言い訳を作ってしまって行動に 移せなかったけれど、仕事も野球も調整でき、ようやく行動に移せた。 直接、自分の心身で何かしたい。

まだ初日で、たいしたことはできていないけれど、遭遇する事実に対して思いは複雑だ。 海岸の近く、原っぱで草も高く生えている空地はかつて住宅街だったと言う。 これだけ広い場所に、相当の家々がおそらくあったのだろうけれどそれが全部 なくなったと考えると恐いものがある。一方でがれきは大方片付いており、場所によっては 企業の新しい工場が稼働していたり道が整備されたりもしている。絶望的な状況を 前にしてなお沈まずにもう1度前に踏み出した人々の精神力に恐れ入る。

宿泊先の近くには某高校があった。調べたら甲子園出場経験がある学校だった。 「訪れた甲子園出場校リスト」に加えようとグラウンドを見に行った。 校舎に壁当てをする生徒が一人。野球部なのだろう。「この高校、今は野球部強いの?」 「この校舎は津波は大丈夫だったの?」尋ねたくても思いとどまった。 背景をほとんどわかっていない部外者が震災のことを容易に口にしてよいかどうかは 非常に判断が迷うところだ。大げさかもしれないけれど日本国が、非常に難しい 難題にぶち当たった一件であることはより再認識できた。


平成26年1月6日 --人的補償--

いつも以上にゆとりのある年末年始休暇をのほほんと過ごしてようやくの出勤。 「阪神、久保のFA人的補償で横浜・鶴岡を獲得」のニュースが飛び込んで目が覚めた。

鶴岡の評価が難しいところはあるにせよ、レギュラーとして最も多く試合に出ていた 捕手をプロテクトしていないのかよ? 嶺井を獲ってOKと思ったのかな。 他からの戦力補強に積極的だなと思っていた横浜フロント、やっぱり下手なままのよう。 谷繁移籍以降の捕手難、ずいぶん長引くね。


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