身につけたものと足りないもの
大活躍の後輩たちの戦いを振り返る


(平成11年秋のチームの集合写真。後輩から借りたもので、非常に大切にしたい1枚。 最前列右から、平成9年度主将の斉藤、平成10年度主将の白鳥、平成11年度主将の田中秀、 平成11年度副主将の柏井、平成10年度副主将の岩本、平成12年度副主将の小俣、 とそうそうたるメンバーが並ぶ、自慢の1枚。)


(東京新大学野球連盟2部に所属する東京農工大学を卒業した山口陽三が母校の 1ファンとして独自の観点で勝手に語ります)

平成11年秋、筆者の母校・東京農工大学が東京新大学野球連盟2部で8勝2敗の 2位という戦績を残した。ここ数年はすっかり2部に染まったかんじの農工大が、 2部で8勝2敗の戦績を残したのは平成3年秋の優勝以来。しかも平成10年秋・ 平成11年春と2季続けて5位に低迷したことを考えれば、大活躍のシーズンだったと 言っていい。工学院大と優勝争いを展開した末に、8勝2敗で星が並び、 最後は得失点差という連盟規定によって工学院大に優勝をさらわれたものの、 最後まで優勝の可能性を残し、首位で全日程を終了した後輩たちの活躍に酔いしれた OBは筆者だけではないだろう。

筆者は平成5年に農工大への入学とともに硬式野球部に入部、平成9年の大学卒業・ 大学院進学後は2年間コーチという肩書でチームに在籍した。平成9年秋から筆者主導で始めた、 電子メールによるOB諸氏への試合結果速報も後輩たちに引き継がれ、今年から 社会人となってチームを離れた筆者にもわりとリアルタイムに結果報告が 送られてきていた。実際に筆者が観戦した試合は10試合中2試合で、本来ならば えらそうに評論をできる立場でもないのだが、後輩から話を聞いたりもし、 また昨年までのチームをわかってもいる。今回は、せっかくの好成績を残してくれた 後輩たちに感謝と期待の気持ちを持って、「なぜ今季勝てたのか」「なぜ優勝には 届かなかったのか」などの自分なりの考えを書いてみたい。


まずこのシーズンの農工大の試合結果を示す。

前のシーズンを3勝7敗の5位で終えた農工大がこのシーズンに開幕戦で 迎えたのは、1部から転落してきたばかりの日工大。1部で2季続けて 最下位になった末に転落してきた日工大、その戦力はいまいち計りにくかったと 思うが、なんと農工大はこの試合、1回表に先発全員得点を記録して12点を奪い、 大勝した。今思えばこの一戦は今季の農工大の好調、日工大の不調(4勝6敗の 4位)の一因になったとも言えるだろう。第2戦の相手は、ここ数年ライバルとして ほぼ互角の戦いをしていた理科大だが、1点を争う試合をものにして2連勝。 開幕6連敗を喫した昨季とは大きく違うスタートに筆者もうれしくなり、 第3戦は都合もよかったこともあり、観戦に出向いた。

第3戦の相手は工学院大。平成9年春後の入れ替え戦で1部から転落し、その後は あまり芳しい戦績を挙げていなかったが潜在能力は高いチームである。試合は、 1回に岩本(本名岩本学、4年生)の2点本塁打で先制。開幕2連勝の勢いを 感じさせるスタートだったがその後は押されっぱなしの展開。工学院大先発・ 岡川貴光(4年生、工学院大学付属高校出身)は本来の調子を取り戻し、追加点を 取れる雰囲気がない。一方、農工大先発の柏井(本名柏井伸二、3年生)は3回に 1点を失ったあとを抑えてはいたが相手のしつこい攻撃をなんとか耐えている かんじの投球。そして6回裏に守備陣の辛抱が一気に崩壊した。無死1塁から 併殺打と思われた遊ゴロをヤス(本名斉藤康弘、4年生)が失策し、1.2塁。 1死満塁から犠飛で同点とされたあとの2死1.2塁でまたヤスの失策で満塁。 山口浩司(4年生、工学院大学付属高校出身)の2点適時打で逆転を許したあとは 連打と失策のオンパレード。2-1でリードしていたはずの試合は2-11とひっくり 返され、7回コールド負けを喫した。

それでも第4・5戦と駿河台大に連勝し、第6戦は昨季最下位の日大生物にコールド 勝ちし、5勝1敗。工学院大が4勝1敗の2位につけ、農工大は首位だった。 9月24日に1部の試合を観戦に行ったときに東京国際大の関係者、杏林大の関係者 等からも「農工、調子いいみたいですね。優勝もありえますね」なんて言われて うれしい気持ちだった。そして農工大の状況は当然、筆者のみならずOB諸氏に電子メールで 伝えられており、さっそく堀田先輩(本名堀田俊彦、平成5年次4年生、筆者の3学年上)から 「農工大、調子いいみたいだね。今度の(10月3日の)工学院戦がヤマになるだろう。 俺は見に行くつもりだけどお前どうする?」という連絡が入る。筆者としては 自分が見にいった1試合だけ負けて他は勝っており、「また自分が行って負けたら イヤだな」「相手も工学院か。前回のこともあるし勝てるか不安だな」なんて ことを考えて観戦に行くかどうか迷っていたが、先輩に誘われて断りにくい こともあり、もちろんヤマとなる首位攻防戦だとわかっていたので、観戦に行った。 観戦には今春卒業したデッチ(本名鈴木義秀)、マネージャーだった真澄ちゃん (本名小林真澄)、そしてノブジン(本名信田人)もかけつけ、にぎやかなバックネット裏 となった。

前日の試合で日工大にサヨナラ勝ちし、10月3日の時点で農工大が6勝1敗、 工学院大が5勝1敗で首位攻防戦を迎えた。やや遅れて到着すると1回表、 先発の岩本が早くも無死1.2塁の危機。1死後に懸川正博(3年生、中央高校 出身)に適時2塁打を浴びる。2死後も相手のしつこい打撃に岩本がつかまり、 単打を集められて4失点。岩本は直球と変化球のキレもコントロールも悪いとは 思わないが工学院大打線がうまかった。2回にはその岩本がソロ本塁打を打って1点を 返したがその後打線が思うようにつながらない。岩本も2回以降は無失点で 耐えていたが6回表に連打と自らの失策で無死満塁の危機を迎えると押し出し四球と 適時打2本でまた4失点。その裏から工学院大は、先発の佐藤嘉紀(4年生、 工学院大学付属高校出身)から岡川につなぐ、豪華な2本柱の継投。7回に農工大も 1点を返したが2-9で8回コールド負けをした。

直接対決での2敗で自力優勝も消えたわけだが、ここで第9戦の理科大戦と 第10戦の日大生物戦を、いわゆる「とりこぼし」のような敗戦を喫することなく 自分たちがシーズンを通してやってきた野球を普通に展開して勝利を納めた あたりは、筆者は高く評価したい。その中で工学院大が理科大に2敗目を喫し、 10月11日時点で農工大が8勝2敗で全日程終了、工学院大が残り1戦を残して 7勝2敗。誇らしくも後輩たちは首位で全日程を終了したのである。 しかし星が並んだ場合に適用される得失点差が、すでに工学院大の方が上。 つまり工学院大が残り1試合に勝てばその点差に関わらず工学院大の優勝が 決まるという状況が生まれてしまった。これは工学院大にとってもプレッシャー にはなるが、何もできない農工大にとってもあまり好ましい状況ではなかった と言っていいだろう。

工学院大は駿河台大との最終戦(10月16日)、ここまで5勝無敗のエース、岡川を先発させるも 初回に3失点。しかし2回以降は岡川も立ち直り、そして打線も徐々に反撃。 2-3と1点差に迫った8回表についに、駿河台大先発・飯沼伸也がプレッシャーに負け、 四死球連発。最後は津島幸司(2年生、田川高校出身)のスクイズで勝ち越しを決め、 5-3で逃げ切ったという。筆者はこの試合を見たわけではなく、後輩の小俣 (本名小俣雄史、2年生)からの "番外編" の電子メールで報告を受けた わけだが、劣勢の展開もしっかり跳ね返せる工学院大に、また強さを感じた 気がした。


そういうシーズンだった。結果的には1位の工学院大と2位の農工大は、星は 8勝2敗で並んだ。得失点差が、工学院大が+33、農工大が+28。ただ、直接対決 2試合で農工大は工学院大に+16を与え、両チームの差という意味では32点分の アドバンテージを与えてしまった。客観的に見れば直接対決2試合でもう3〜4点でも 差を詰めておけば農工大が優勝していたわけだから、農工大にとって「惜しい」 「運の悪い」シーズンだったと見ることもできるのだが筆者はあまりそうは 思っていない。このあたりから、「なぜ後輩たちは好成績を残せたか」「なぜ 後輩たちは優勝には届かなかったか」に対する自分なりの意見を展開したい。

まず好成績を残したことについてだが、筆者はある条件下では農工大はこのくらいの 戦績を残してもおかしくないと思っている。これは筆者が在籍していたときから 思っていた。さいきんの2部での優勝チームを見てみると、今季の工学院大の 岡川・佐藤、平成9年秋の杏林大の川野邉篤・新村正憲、平成10年春の東京国際大の 橋本直弥・川内真之など、計算できる2人の投手を持っている場合が多い。 もちろん平成9年春の日工大、平成10年秋の日大生物など、圧倒的な攻撃力で 優勝する場合もあるのだが、1人ではなく2人の好投手を持っていることは リーグ戦を戦う上で大きなアドバンテージになる。この点で実は農工大は、 他の2部チームにないと言っていいほどの特徴を持っている。先に2人の好投手の 例を挙げたが、これらもそのシーズンだけ2本柱として機能したとか、2本柱の 状態が続いても2シーズンくらい、ということも少なくない。ところが農工大は "毎年" 2人の好投手を確保できているのである。必ずしも部員数が多いわけでは ない農工大にとってこれは非常に大きなことである。

農工大のここ数年の投手陣
平成6年 粟本太朗(当時4年生)・箕輪純也(当時2年生)
平成7年 箕輪純也(当時3年生)・下里友則(当時3年生)
平成8年 下里友則(当時4年生)・中島敬蔵(当時2年生)
平成9年 中島敬蔵(当時3年生)・岩本学(当時2年生)
平成10年 岩本学(当時3年生)・柏井伸二(当時2年生)、敬蔵もいたが投手としては出番薄
平成11年 岩本学(4年生)・柏井伸二(3年生)

これだけ毎年2人の好投手を確保できているチームはそうない。あるとすれば 工学院大だが、今季活躍した岡川・佐藤も、両投手揃い踏みをしたのは今季が 初めてではないかと思うくらい(佐藤はあまりよくなかったという見方もある)、 どちらかが調子が悪かったりしたものである。

それでは農工大が毎シーズン2投手が揃い踏みしていたかというと、そうでない こともあったのだが、少なくとも筆者にしてみれば2部の中で十分に自慢できる 投手陣だった。野球における投手の重要性はいまさら筆者が言うことでもない と思うのだが、この投手陣をうまく援護していけば2部優勝は届かない目標ではない と思っていた。事実、平成9年春と平成10年春には最後まで優勝争いに加わって 2位になっている。

さて、本題に戻るが「なぜ今季好成績が残せたか?」という質問を後輩の小俣に してみた。春に比べてレギュラーメンバーを固定できたこと、ヤスが加入したこと (ヤスは平成9年次の主将。当年を最後に1度現役を引退したが留年した結果、 平成11年秋になって "5年生" ではあるが現役復帰した)、開幕の日工大戦で 大勝できたことなどを挙げた。やはり同じ質問をヒデ(本名田中秀和、3年生、主将) にしてみると、やはりヤスの存在を挙げていた。「岩本さんももちろん、 投打にがんばったけどヤスさんの加入は大きかったです」。筆者が観戦した試合で 失策を連発していたヤスがどれだけの貢献をしたのか、よくはわからないのだが ヤスは熱い男だ。おかしな一面もあるが燃えやすいタイプ、雰囲気を作れて、 そして熱い雰囲気の中で力を出せるタイプだ。前の現役時代の経験、主将としての 経験なども加え、プレーよりも精神的な面で大きく貢献したのかもしれない。 筆者は実は、「なぜ今季好成績が残せたか?」に対する答えを用意できていない。 知らないことが多いために答えられないこともあるのだが、レギュラー陣の個人 成績で言えば5位に終わった昨季ともそれほど変わらないし、2人の投手は昨季から がんばって投げていた。あるいはもともとこれに近いくらいの戦績を納めても おかしくないとも思っていたので、ある程度「実力通りの結果」と見ている面もある。 ただその中でこれまでと少し違うと感じたのは、先述したが、 とりこぼしのような敗戦がなかったことである。これまでは優勝争いをしても、 優勝争いと関係のないチームに痛い1敗を喫したりしたものである。それを しなかったことは大いにほめていいと思うのだが、それができたのはチームの 野球の形ができつつあって、相手をいい意味で見下ろせる、、、あるいは あまり相手を気にせず自分たちの野球を第一にできる、そういうふうになって きたからかもしれない。雰囲気は当然よかったし、そこにこれまでの多くの 経験からある程度野球の形を固め、自分たちに自信を持ち、そこにいいタイミングで 経験豊富で熱いタイプのヤスがマッチした、そんなところだろうか?


続いて「なぜ優勝に届かなかったか?」である。すでに少し書いたように、 筆者は一見惜しかったように見える今季の農工大だが、今季に限っては思ったより 優勝は遠いところにあったと思っている。工学院大が強かった。直接対決で 柏井を立てても岩本を立てても完敗。最終的に得失点差の争いになり、それで 順位を決めるという連盟規定にいささか疑問も感じ始めているさいきんではあるが (ただ、平成10年秋は得失点差1点差で最下位を免れているだけに大きな声では 言えないのが正直なところである)、例えばプレーオフをやったとしても、 普通に工学院大にぶつかったら "今季3敗目" を喫していたように思う。 それだけ相手が強かったと思うのだが、それにしても筆者が観戦に行った2試合の敗戦は 内容も悪かった(結局筆者は2試合観戦して2敗だった。8勝2敗のシーズンに なんともバツの悪い結果となってしまった)。これは筆者が在籍していたころ からの課題だったのだが、「マイナスの流れ」になったときに非常に弱い (特に守備が弱いと思う)。 工学院大との第1戦の6回の守りにしても、いくら守備が乱れて柏井もキレぎみ だったとは言っても、同点とされたあとの2死満塁から9点を取られるのは普通じゃない。 打線も、誰かが打ってそれに呼応する形でガンガン打つのは非常に得意だ。信じられない 大量点を取ったり、大敗ムードの試合で信じられない追い上げを見せたり逆転 してきたうちの打線は筆者の自慢の一つでもある。 ただこれも、打てないときの工夫がやや足りない。 そしてどうしても、淡泊に攻撃を終えているように映る。こういった、マイナス の流れに弱い体質は結局、8勝2敗の戦績を残した今季でさえも完全には解決されない ままだった。工学院大との第1戦後、白鳥(本名白鳥誠、4年生)が「なんか、 もうしょうがないですね。校風とか伝統みたいなかんじで」と苦笑いしていたが、 確かにこの悪いくせが残ったままだ。ピンチで守り切る精神的な強さ、 劣勢を耐えて優勢に持っていく工夫、その辺が身についてくれば・・・と思う。

ここ3年くらいの農工大を振り返ると「勢い」という言葉が非常によく似合う。 平成9年春から平成11年秋の6シーズン、2位が3回で5位が3回である。 わかりやすく言ってしまえば「勢いに乗ったシーズンは2位、乗れなかったシーズンは 5位」である。それも1年のうちに2位と5位を必ず経験しているわけだから 卒業・引退による戦力抜けといった要素だけでは片づけられない。プラスの 勢いを持ったときに農工大ほど強いチームは今の2部にないだろう。しかし、 マイナスの勢いを持ったときに農工大ほど弱いチームもなさそうな気がする。 このあたりはトーナメント制の国公立戦(6月に行われる東京都内の国公立大学 による体育大会)で、3年連続優勝を飾っていることとも無関係でないように思う。


平成11年秋、農工大の8勝2敗。この好成績も例によって勢いだけによるものだろうか? 筆者はそうは思っていない。偉大なる先輩が2部優勝を果たした平成3年秋に 残した8勝2敗の成績、順位はともかくそれに並ぶ星を残した後輩たちの活躍を、 勢いだけで片づけるなどという失礼なことはできない。後輩たちは、先に書いたように 自分たちの野球を普通に展開する力、いい雰囲気を持続する力、そういったものは 身につけてきたんだと思うし、もちろんベースとなるチーム力も上がってきていた と思う。ただ、相手のペースを引き戻す力、劣勢の展開を抜け出す工夫、そのあたりに まだ課題が残っていることも事実と思う。今季の活躍に酔いしれたOBは筆者だけでは ないはずである。なかなかほめることがうまくなく、今回もうまく成功の要因を 見極められないために素直にほめない内容になっているが、筆者は本当に感謝している。 ただ、常に1部を狙えるチームになってほしいとも思っている。 もう一段のレベルアップを期待したい。

農工大と高千穂商科大(今季1部最下位校)の入れ替え戦、見たかった。おそらく 大方の関係者は高千穂商科大の圧倒的有利を唱え、高千穂商科大の勝利に終わる 結果にはなっただろう。ただ、筆者は今季の農工大ならば思ったよりおもしろい 入れ替え戦になっていた気がするし、勝つ確率も3〜4割はあったように思う。 農工大より上の実力を持っていた工学院大が高千穂商科大に、入れ替え戦で 互角に戦いながら敗退していることを考えれば、この3〜4割という数字は かなり甘い数字ではある。ただ、 ベースの戦力が上がってきており、そして優勝して迎える入れ替え戦ともなれば もともとどこのチームにも負けないほどの「プラスの勢い」が出る可能性もある。 普通にぶつかったら高千穂商科大には完敗だろう。ただ、ベースの戦力に勢いを 加えた状態の農工大だったらおもしろかったかも・・・。そんなことを思う。


今季レギュラーだった5人の4年生("5年生" 1人)が卒業し、3年生のヒデ・柏井も4年生に なって現役を続けられるか微妙とも聞く。毎年のことながら今年も、新チーム結成に あたって大きな不安をかかえることになりそうな気もする。ただ、今回自分たちが 残した戦績には、よくも悪くも考えるところは多くあるはずである。まして1年のうちに 最下位争いも優勝争いも経験したわけだし、何をすれば勝てるか、何ができないと勝てないか、 考える材料は多くあったと思う。単に「8勝2敗の2位、惜しかったな」「得失点差 で優勝できないなんて運が悪かったな」で終わらせることなく、強いチームへの さらなる一歩を踏み出してほしい。今回の "ひとりごと" がそれを考える上での ちょっとしたヒントにでもなれば幸いである。


筆者のメールアドレスは yozo@msf.biglobe.ne.jp

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