重い打席

日本においてポピュラーな野球。プロの野球を頂点に草野球に至るまで、野球に取り組む あるいは取り組んだことがある人はわりと多いと思う。プロでも頂点のレベルに ある選手ならば生涯に1万打席を超えるのだろうか。長く携わっていても筆者のように 試合出場が少ない者ならば、練習試合での打席を含めても100打席に満たない程度かもしれない。

野球選手ならばほとんどの選手が打席というところに立ったことはあるだろう。 その多少や、ステージの大小は人によってそれぞれ違うだろう。 ただ、野球人生を、もしくは人生そのものを変える1打席というものがある選手は どれくらいいるのだろうか? プロの選手などは数も多く、また、プロに入るにあたって、 あるいはプロで成功するにあたって分岐点となったような1打席もあるのかもしれない。 あるいはそんなものがない選手もいるかもしれない。プロでない野球人を含めると そんな「1打席」はない人の方がだいぶ多いのではないかと思う (「印象に残る1打席」がある人は多いだろうが)。 ただし今回筆者は、もしかして一人の野球選手の野球人生を変えてしまうのかも しれないと思わせる1打席を目の当たりにした。今回取り上げるのは、 東京国際大2年生、桐生第一高校出身の、倉上将光という左打者である。


平成17年秋、東京新大学野球連盟。筆者の出身連盟であるこの連盟にとってこの年は 意味の大きな年となった。連盟代表として6月の大学選手権に出場した創価大が ベスト4に進出。連盟の記録としては過去に大学選手権準優勝などもあるので ベスト4が最高戦績というわけでもなかったが、これはこれで立派な戦績である。 創価大のエース・八木智哉は選手権で5連投を果たして最多奪三振の記録を樹立。 迎えた秋には明治神宮大会への関東予選で、やはり創価大が連盟代表となり、 八木が白鴎大相手に完全試合。八木は希望入団枠で北海道日本ハムファイターズへの 入団を決め、さらに創価大から2選手がプロ入り。同年に3人の選手がプロに入ったのは 創価大のみならず連盟からも初めてである。創価大のおかげで連盟の名を全国に 知らしめた重要な年となった。

その年の秋のシーズン後の入れ替え戦。1部優勝校・創価大が華やかな脚光を浴びる 一方で1部最下位校・東京国際大(以後国際大)が2部優勝校・共栄大の挑戦を受ける形の入れ替え戦を戦っていた。

平成17年11月19日 県営大宮球場 1・2部入れ替え戦第1戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
共栄大(2部1位) 2 0 0 0 0 0 0 0 1 3
東京国際大(1部6位) 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1

平成17年11月20日 県営大宮球場 1・2部入れ替え戦第2戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
東京国際大(1部6位) 0 0 1 0 0 0 3 0 0 4
共栄大(2部1位) 1 0 1 0 1 0 0 0 0 3

平成17年11月21日 県営大宮球場 1・2部入れ替え戦第3戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
共栄大(2部1位) 0 0 0 0 1 0 3 0 0 4
東京国際大(1部6位) 0 0 0 0 0 0 0 0 3 3

双方1勝1敗で迎えた第3戦は共栄大のペースで試合が進んだ。 序盤から投手戦で早くも1点で勝負が決するような様相。5回表に共栄大が2死満塁から 九鬼智典(2年生、春日部共栄高校)の内野安打で1点を先制。7回表には満塁の好機を作って 木村幸太(3年生、成立高校)の適時打、増田英二郎(2年生、春日部共栄高校)の押し出し四球、 北茂徳(2年生、川崎高校)の適時打で3点を追加。1点で勝負が決まるかと筆者が感じた展開の中、 4−0となった。これは大きい。対する国際大も好機がなかったこともない。 3回2死2塁では倉上に右前打が出たが2走が本塁憤死。6回には御園幸平(1年生、武蔵越生高校)が 相手エース・島田太志(1年生、春日部共栄高校)を強襲する安打を放って続く倉上にも 安打が出て1.2塁とするが後続が凡退。突き放された7・8回は意気消沈したか 淡白に攻撃を終えて4−0のまま9回を迎えた。共栄大の勝利、それすなわち 平成14年創部、平成15年連盟加盟の共栄大の、早期の1部昇格は目前に見えた。

ところが国際大が意地を見せた。

東京国際大 9
4番 A 甲原 右安
5番 DH 小澤
H 倉浪△ 中安
6番 C 太田 中安
7番 B 武藤 四球
8番 F 中野△
H 金子 遊ゴ
R 渡辺
9番 H 松沼△ 左中2
1番 D 神田△ 敬遠
2番 E 御園 遊ゴ
3番 G 倉上△ 三振

それまで鳴りを潜めていた国際大打線が最後に堅実な打撃を見せた。 甲原が当たりはよくないながら右前に落とし、倉浪・太田は中堅返しの打撃。 3連打で無死満塁とされて島田に動揺があったか、7番・武藤にカウント0−3。 2−3まではもっていったが結局押し出し四球。 代打・金子にも中堅返しされる。遊撃の根本知明(1年生、春日部工業高校)が追いかけて なんとか追いつき、2塁封殺で1死だけは取った(1点追加)。4−2の1死1.3塁。 ここでこの日1安打を打っていた左打者・松沼が左中間に打ち返してこれが2塁打となり、 4−3として1死2.3塁。4−0無死満塁では「まさか」とは思っていた大逆転が 現実のものとなってきた。負けているとは言え国際大は逆転サヨナラの走者を2塁まで送り、 打順は上位にまわった。共栄大バッテリーはここで神田を歩かせて満塁策。 これはわかる。神田はこの日2塁打1本を打っている左打者。1死2.3塁では守りにくいし スクイズの心配を避ける意味でも最初からボール球を投げてしまうのも悪い策でない。 2番の御園も投手強襲の安打を放ってもいるが、右打者で満塁ならば併殺もあるし 攻撃側もスクイズは敢行しにくい。3番の倉上は2安打しているので欲を言えば ここまでまわしたくないが、そのリスクを負っても神田の打席を嫌がって御園併殺で 終えられる可能性に賭けたのだろう。難しい判断だが十分理解はできる。 2番・御園は初球を打って遊撃正面のゴロ。併殺にはならなかったが本塁封殺で2死。 打席に倉上を迎えた。

でカウント2−3となった。大変な場面に遭遇したと直感した。 まずもって入れ替え戦という試合が、とても大きな意味深い試合である。 その入れ替え戦において1勝1敗で迎えた第3戦。1点差で迎えた9回裏、 2死満塁、カウント2−3。さらに言うとマウンドには絶対的なエース、 打席にはチームで最も頼れる打者。野球を「筋書きのないドラマである」と 表現する言葉があるが、逆に筋書きならばこれだけのできすぎた状況を作り上げる ことができるかもしれない。しかし、筋書きでもないのに筆者の目の前で現実として起きた。 ぞくぞくした。

迎えた最終球。8回まで快投を続けていた島田も、9回に受けた反撃で球数は157球目にもなっていた。 最後に共栄大バッテリーが選んだ球種は直球。これがコースは厳しくなくほとんど まんなかだったが、高さが低めギリギリの高さだった。倉上のバットは動かなかった。 意図的に出さなかった、のかもしれない。ストライク・ボール、どちらともとれるような 高さだったが、球審の判定はストライク。倉上はうなだれ、スタートを切っていた 2走・神田は二三塁間で座り込む。捕手・増田は両腕を上げてガッツポーズ。 島田はガッツポーズのまま3塁側ベンチに走り、3塁線上あたりでベンチから出てきた 仲間と合流して歓喜の輪ができる。加盟5季目の共栄大が初の1部昇格、 平成11年春(6月)の1部再昇格以後、13季続けて1部で戦ってきた国際大の、 2部降格が決まった瞬間であった。



最後の倉上の打席について考察したい。「一般に」とまで話を広げてよいかどうか わからないが、カウント2−3というカウントは打者にとってわりと難しいと思う。 プロ野球の解説などを聞いていても、カウント2−2ではボール気味の球を見逃す ことができてもカウント2−3だとボール気味の球も振ってしまうという解説がある。 2−2ならばボール球が来るかもしれないという気持ちが打者の頭にもあるが、 2−3だとまさかボール球が来るとは考えないから、打者は思わず振ってしまう、 という説明である。一例に過ぎないと言えばそれまでだが、筆者が現在所属する 社会人野球クラブチームでの平成17年の年間個人成績においても2−3での難しさの 傾向は現れ、チーム打率.288ながらカウント2−3での打率が.217。 傾向は選手によって異なるが、例えばほぼフル出場で.320の打率を残した選手が 2−3で13打数無安打、やはりフル出場でチーム最多打点を記録した選手が2−3で 12打数2安打(.167)と低迷。打率で見ているために四球を選んでいる分が除かれているが、 2−3というカウントは難しい要素が含まれるカウントであると思う。

逆に被打率.282を記録した我がチームの投手陣もカウント2−3で.202と 抑えている。

ボール球を振ってしまう懸念の他にもう一つ、気が弱い打者だとストライクを見逃して しまう懸念も見え隠れする気がする。筆者のように打席経験も少なく、打撃に自信が ない選手の場合はそちらの、消極的な難しさもあるかもしれない。うまくすれば 四球で出塁することができる。本来、そんな気持ちで打席に立っていればほとんど いい結果は出ないだろうが、自信がないとか、力はあるのにたまたま調子が悪いなどの 場合にそういう気持ちがよぎることもあるかもしれない。

今回のケース、倉上の頭に四球で歩くことがよぎったとは思わない。というか、 思いたくない、というのが正しい。倉上は1年生の春はわからないが秋にはレギュラーで 中軸を打っていた選手。今回の入れ替え戦は3番での出場であり、チーム事情がどうあれ 3・4年生が出場していないこの入れ替え戦の中では、最上級生でもありナインの中でも最も経験豊富で 最も打撃に信頼がおける選手である。しなやかなで、かつ速いスイングができる選手で、 それなりにセンスも感じるし、実際に第3戦も2安打を放っていた選手である。 筋書きとして用意されたようなこれだけ緊迫したケースを経験したことまではなかったかもしれないが、 そういった大きなプレッシャーの中でも自分を見失わずに自分の力を出せる選手、 と思いたい(のが筆者の気持ちだが、倉上を数多く見ているわけでもないのでなんとも言えない)。 実際に5球目のファールも内容は悪くなかった。ただし相手の島田が押し出し四球も 出すなど、多少なりとも制球を乱してストライク・ボールがはっきりし始めてはいた。 それがあって押し出し四球での同点、というのがよぎってしまったかもしれない。 あるいはよぎらずともこの期に及んでギリギリのストライクが来るとまで思わず (来るならはっきりしたストライク)、手を出せなかったのかもしれない。


理由はどうあれ、ルールとして3ストライク目を見逃せば三振、そしてこの三振は とてつもなく大きな結果をもたらすワンプレーとなった。降格が決まった国際大は 来季から2部での戦いである。球場でもなく大学のグラウンドでのリーグ戦であり、 創価大・流通経済大といった全国レベルの強豪と戦うこともできない。 目標も優勝によって神宮に出場するということにならない。むろん、 降格自体が倉上の責任であるという話ではない。3勝10敗の勝ち点0で終えたシーズン、 あと1勝で勝ち点をあげて最下位を回避することはできなかったのか、 入れ替え戦はなぜ第3戦までもつれこませてしまったのか、第3戦も9回に反撃するまでにもう少し なんとかできなかったのか、そもそもリーグ戦まで帯同していたはずの上級生が なぜ入れ替え戦になって帯同していないのか...。戦力・戦い方・チーム運営・時の運など、 降格の理由は多岐にわたりそうであり、倉上の三振一つで決着させられる話では、 到底ない。ただし、事情や過程がどうあれ、倉上の打順で同点もしくは逆転サヨナラにでも なっていれば、「苦しんだけれど1部に残留できた」「いろいろあったシーズンだったけど 残留できたから来季はもう1回立て直そう」などということでひとまず片づいてもいただろう。 倉上が一人で責任を背負うものではまったくないが、本人が責任を感じて大きな悔しさを 抱いていることは間違いなかろう。

とても重い1打席を目の当たりにした。こんなことがあるものか。これだけ1打席が重いと感じたことは、 筆者が見聞きした中では初めての気がする。先に書いたように、 筋書きでもないのに本当に起こった、できすぎのシチュエーションである。9回裏1点差、 2死満塁カウント2−3、マウンドには反撃を受けてもベンチがすべてを託した絶対的エース、 打席にはチームで最も信頼を置くことができる打者。しかもそれが入れ替え戦第3戦 という、土壇場の中の土壇場、大一番で起こった。そしてここで起こった見逃し三振という結末。 打者の倉上にとってこの1打席は、彼自身の野球人生を変えてしまうのではないかと、 見ている筆者は直感した。この1打席は、おそらく倉上は引きずる。 野球人生を変えると言っても、1部にこのまま残留していればいずれプロのスカウトの 目に留まってプロ入りできたかもしれないものが、2部に降格したがためにスカウトの 目に留まらずプロ入りできなくなりそうだ、という直接的なことは言っていない。 筆者の倉上に対する評価は低いものではないが、当連盟からプロ入りすることがどれだけ 難しいかもある程度わかっているつもりなので、倉上がプロ入りするという前提は 筆者も置いていない。

本人は言われたくないだろうが、この1打席は翌シーズン以降のプレーを非常に難しくさせる。 引きずってしまって練習がなかなかうまくいかないようであれば、2部校相手と言えどそうそう 簡単に打てるものでもない。逆に相当の悔しさを持って猛練習して次のシーズンに臨むかもしれない。 そうだとしても、そもそも降格1季目はチーム全体として思い通りの野球ができる可能性は低い。 ましてチームの中心選手・倉上であれば2部校も一目置いて「彼を抑えよう」 「1部のクリーンアップがどれほどのものか」と勝負を挑んでくるだろう。 そこに必要以上の気負い、「俺がチームを1部に復帰させる」「なにがなんでも打つ」 などの気持ちが入っていれば、逆にあまり満足できる結果も出ないだろう。 本人には非常に申し訳ないが、筆者が予言するならば、次のシーズン(平成18年春)に 限っては倉上はどう転んでも満足の行く数字を残すことはできない気がする (数字だけで議論するわけではないが)。

そのまま並程度の選手で終わるのか、さらなる努力で翌々シーズン以後に数段レベルアップ した選手となっていくのか、どちらになるのかは本人次第だと思う。ただし、 どちらになったとしても、11月21日、第3戦、9回2死満塁の1打席は、本人にとって 野球人生そのもののターニングポイントとなりえる打席になるだろうと思う。 倉上がどんな選手に生まれ変わっていくのか、どれだけ見られる機会があるかは わからないが気にはかけておきたい。

たまたまとは言え倉上がこの時点でまだ2年生であるということも大変興味深い。 来季1シーズンで1部に戻ることができればまた1部でプレーすることができるし、 仮に筆者の予想通りに来季満足な成績が残せず、チームも1部復帰を果たせなかったとしても まだ1部復帰、1部でのプレーのチャンスはある。来年中に1部に戻れば再来年(平成19年)の 大学選手権出場を目指すことだって可能である。傍観者からは想像もつかないほどの 悔しさを感じたはずの倉上が、これを次にどう生かしてどんなプレーに結びつけるのか、 あるいは生かしきれずに大学野球を終えてしまうのか、それを見守っていく時間が まだあるということは大変興味深い。実は筆者は同じく国際大の、同じく入れ替え戦での ターニングポイントとなった1打席を取り上げた文章をだいぶ前に書いている (→こちら)。 金子毅という選手のその打席も大変興味深いものだったが、幸か不幸かその打席が 彼自身の大学野球最後の打席となってしまった。同じ大学(国際大)の同じような シチュエーション(入れ替え戦第3戦、1点をめぐる終盤戦、中心打者にまわった 意義の大きい打席)が時を経て再度起こることも興味深いが、前回は後日談がなかったものが 今回はあるということでも別の興味深さがある。

これだけの大きな打席がまわってきた打者が倉上だったというのも運命かもしれない。 それだけのものを彼自身が持ち合わせている、チームの歴史と将来までをも背負う責任を 任せられるような素養を持っている、そういうことかもしれない。 平成18年の倉上将光に、注目したい。

(山口陽三筆)


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