相模原クラブ「つぶやき」集

2001年8月28日、相模原クラブの長い一日
壮絶なる当日とそれまでの軌跡

(相模原クラブ・山口陽三)

2001年8月。我々相模原クラブは日本選手権神奈川県予選を迎えた。大きな大会では この年最後の公式戦となる(伊勢大会への出場の可能性があることになっていたので、 こういう言い方をしている)。この年の我々は春季県大会で初の初戦突破を果たすものの (対ウィーンベースボールクラブ)、5月のクラブ選手権予選では横浜球友クラブに、 6月の都市対抗予選では横浜金港クラブに初戦敗退していた。迎えた最後の大会、 春の1勝のおかげでつかんでいる第4シード、そのおかげで日本選手権予選の初戦も クラブチーム相手だった。相手は神奈川クラブ。なんとか1勝を挙げて、 企業チームに挑んで大会を終え、1年を締めくくる。そんなことをチームの目標として 据えて挑んだ(もちろん、大会で勝ち進んで代表権を得られればそれにこした ことはないが現実問題、そこまでは考えることはできなかった)。


8月19日

初戦が8月25日。スコアラーである筆者の中での日本選手権はもう少し前に始まっていた。 神奈川クラブについてのこれまでの試合から簡単なデータを作成し、プリントに して8月19日にメンバーに配布。この日は玉川大でのオープン戦だったが、 終了後に筆者はピッチャーの菊地(博司。東海大相模高校出身)と「ドトール」にて簡単な打合せ。 菊地は今や左のエース、初戦での先発が言い渡されていた。神奈川クラブの打者に ついて話をした。同時にこの日休んでいたシモ(下里友則。東京農工大学出身。投手陣の まとめ役でエースでもあるが、事情があってこの日本選手権での登板はないことになっていた。) と電話で話し、投手起用についての意見交換もした。先発予定の菊地に完投は望みにくいし、 8月のオープン戦でそれほどいい出来ではなかった。飛弾(慎一郎。横浜商業高校出身)が 足を痛め、シモはいない。中村(卓弘。桜美林大学出身)・高橋(貴宏。東陵高校出身)・ 新堀(琢磨。八王子高校出身)らをどうつなぐか。ここ2週のオープン戦の投球内容なども こちらから話し、シモと意見交換し、それを受けて菊地とも意見交換。もちろん、 最終的な選手起用は監督が決めることなのだがそれによらずシモ・菊地・筆者はわりと いろいろなことで話し合いを持っていた。筆者と菊地は同学年、シモは1学年上だが 大学で筆者と同期、シモと菊地はともに投手陣を支える存在ということで気も合いやすく、 3人の中での意志統一というのはあちこちで持つよう心がけていた。 結局「ドトール」には1時間以上いた。


8月25日

2001年8月25日 保土ヶ谷球場 日本選手権神奈川県予選1回戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
神奈川クラブ 0 0 2 0 0 0 0 3 0 5
相模原クラブ 1 0 3 0 0 0 0 2 × 6
1回戦は相当に苦しい戦いになった。初回に4番・白石(正彦。光明相模原高校出身)の タイムリーで幸先よく1点を先制するも、3回に菊地が3安打を集められて同点にされて、 なおも連続死四球で逆転。なおも2死満塁のピンチ。ここはなんとか抑えたが 多少の心配のあった菊地が、やはり調子がよくない。3回裏にエラーで同点に追いつき、 なおも無死満塁からの押し出し四球で勝ち越すも走塁死も絡んで、大量リードを奪う展開にまではならない。 それでも4回から菊地に代えてつぎ込んだ高橋が好投。特に6・7回は3者凡退に抑えるなど 4回で2安打に抑えるベストピッチング。こちらも追加点を奪えなかったが流れは失っていない。 できればこのままいってほしい、などと思い始めた8回表、試合が動いた。 金属バットの社会人野球、そうそう落ち着いたまま試合は終わらない。高橋が 原田・吉田・田中・松波と4連打を食らい、同点なおも無死1.3塁のピンチを残して降板。 神奈川クラブの特徴として、必ずどこかで集中打を出していることがあったが、 こんなところで出てしまった。3番手に新堀を送る。この場面で新堀というのも 半ばバクチな起用ではあるが、飛弾もシモもいない状況である。ナインも納得だろう。 しかしいきなり死球で無死満塁。 さらにピンチが広がるが相手の打順も7・8・9番。一つ一つ取っていけばそう大きな 被害にならないだろうと思った矢先、7番・伊藤のショートゴロを白石がエラー。 逆転を食ってまだ無死満塁。ついにリードを許した。すでに筆者の気持ちとしては開き直っていたが、 本当に開き直って度胸を決めるしかない。しかしここで相手は代打の原嶋にスクイズを敢行させ、 これがピッチャーフライとなってダブルプレー。これは救われた。こちらが予想もしなかった 意味で虚をついた作戦ではあったが相手は相手で焦りがあったか。9番・錦戸も打ちとって 1点ビハインドですんだ。

1点ビハインドを追うことになった8回裏、不思議なもので膠着した試合を動かすと 相手チームにも動きが出る。1死から代打栗原(佳孝。麻溝台高校出身)が四球で出塁。 この日4安打の金井(靖幸。相武台高校出身)がこの場面では凡退したが幸大(新井幸大。向上高校出身)も四球で1.2塁。 主将で3番を打つフル(古舘智治。産能大学出身)にまわった。打力のあるいい打者だが、 この日はチャンスで1度凡退。打つか打たないか、雰囲気としては微妙なところだったが こちらは期待するだけ。後に「1度チャンスをつぶしていたので絶対に取り返したかった」という コメントを残したフルのこの打席。打球はライト線にフラフラと上がる。 ライトの追い方から見て、落ちるには落ちそうだ。落ちた。判定は? フェアになった。 「まわれ、まわれ!」2塁ランナーに続いて1塁ランナーの幸大も還ってきた。 一気の逆転劇。直球がコーナーに決まると打ちにくい相手投手・川崎、しかし二つの四球に救われて なんとか1点のリードを奪い返して9回を迎えた。しかし今度はこちらが苦しむ番だ。 1点を守る神奈川クラブも大変だったと思うが、我々も同じである。1死1塁から 3番・吉田がライトオーバーの2塁打。1週前に菊地と打合せをした中で「警戒すべきは 相手の集中打」「特に吉田・錦戸に注意が必要」などと言っていたが、吉田にはこの日、 本当に痛いところで打たれている。1死2.3塁。逆転の走者が2塁まで来た上に打順は4・5番。 同点覚悟どころか1点ビハインドまでは仕方ないくらいの状況だ。新堀が登板してから 何度開き直って何度腹をくくっただろう。しかしここで4番・田中の打球はショート正面をつき、2死。 5番の松波は右打者だが監督は左の新堀を続投。一方でブルペンでは「松波を出したら行くぞ」 と言われていた中村の投球練習が続く。しかしここは新堀が勝った。松波をピッチャーゴロに打ち取って試合終了。 苦しい試合、なんとか勝利をものにした。


8月27日

1日置いて2回戦。第2試合で三菱ふそう川崎との対戦を迎えた。我々としては 1年前の都市対抗予選で0-15の5回コールド負けを喫して以来の対戦だ。 相手はその年の都市対抗で全国優勝を飾ったチーム。全国トップレベルの チームにどこまでできるかの挑戦だった。個人的には、少しでも前回の対戦より ましなチームになった印象を相手に持ってもらえれば、と思っていた。

結果的にはこの試合、2回途中で雨天ノーゲームになった。ただ、試合内容について 一般メディアで伝えられていないだろうし、現場にいた者以外知らないと思うので、 ここで紹介する。紹介したい内容なのだ。

2001年8月27日 保土ヶ谷球場 日本選手権神奈川県予選2回戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
相模原クラブ 2 0
三菱ふそう川崎 0

相手はエースの佐藤大がわざわざ登板。しかしこれを初回からとらえ、幸大と清水(広貴。横浜国立大学出身)の 連打で無死2.3塁とし、エラーとダブルプレーの間とで2点を先制。一方こちらの先発は飛弾。 先週、足を痛めたと言っており1回戦は大事をとって登板しなかったが、今や シモ・菊地に次ぐ投手だ。これがエラーで走者を一人出すが、初回を無失点に抑えた。 梅原・桑元もつまり気味の外野フライに打ち取った。2回表は3者凡退。2回裏、 走者を一人置いて高根澤に同点2ラン。なおも無死満塁とされる。初回の無失点こそ偶然で、 これから何点入るだろうと心配し始めた。吉見がサードフライで1死。そして ここで雨が強く降り始めて中断。相当に強い雨でグランドも水びたし。30分待ったが ノーゲームとなった。

そしてこの試合が翌日に組み込まれたのは当然として、当初28日に予定されていた 5位決定1回戦も同日に行うという。この2回戦の再戦に敗れた方はダブルヘッダーだ。 苦しい日程となった。そして8月28日、相模原クラブにとって非常に大きい意味を持つ1日を迎えた。


8月28日

27・28日と平日の試合となったが、クラブのメンバーも会社を休むなどしてなんとか それなりの人数は集まった。28日第1試合の三菱ふそう川崎との再戦もほぼ前日と 同じメンバーで挑むことになった。

2001年8月28日 保土ヶ谷球場 日本選手権神奈川県予選2回戦
1 2 3 4 5
相模原クラブ 0 0 0 0 0 0
三菱ふそう川崎 9 2 1 4 × 16
(5回コールド)

さすがに前日のようにはいかなかった。初回の攻撃は簡単に3者凡退に抑えられ、 その裏に飛弾がメッタ打ち。桑元・新保・中村と3本のホームランを浴び、トータルでも 9安打を集められて9失点。2回にも新保・佐々木に2者連続ホームランを打たれて 飛弾は降板。昨日の一戦で飛弾がどういうピッチャーかも、相手もわかっただろうし、 何より昨日のことで気持ちを引き締めてきたことはあろう。いや、それでなくとも これが当たり前の実力差であると言われても否定できない。いずれにしても、 なんでもない普通の、"企業VSクラブの試合" となってしまった。4回裏、0-12で2死。 ショートゴロでチェンジかと思ったら井上(雄介。パームビーチ大学出身)のエラーで生かし、 そこから4失点。コールド圏内に入ってしまった。5回表は相手の注目の新人が登板。 春の「グランドスラム」誌で表紙を飾った森大輔だ。これがほとんど直球ばかりの 投球ながら速くてほとんど当たらず、3者三振で試合終了。打線は2安打、守っても 4回で16点を取られ、いいところなく敗退。実力差を認めざるを得ないとしても、 それでも恥ずかしいと言うか、悔しい負け方だった。楽しみにしていた三菱ふそう川崎 との対戦だが、1年前と何も変わっていない試合内容で終わってしまった。


第2試合を挟んで第3試合。我々は三菱重工横浜クラブとの5位決定1回戦を戦った。 この夏からクラブ化したとは言え、練習環境も変わっていないというし、まだまだ 企業チームと変わらないチーム。我々からすれば強豪チームとの対戦だ。 ベンチの入れ替わりの際、監督が日石三菱の林監督と話を交わしたという。 「お前ら1日2試合か。大変だな」「いや、(5回コールドだから)2試合で1試合分ですよ」。 謙遜でそう答えたのだろう。それはそれでいいのだが、冗談ではない。 この試合を迎えての筆者の気持ちは単純だった。相手が企業かクラブか、 うちよりどれくらい強いか、負ければ日本選手権への道が断たれる、そんなことは どうでもよくなっていた。「1日で2度恥をかけるか?」。 筆者も、仮にも少年野球から始まって、中学(学校の部活動で軟式)・高校野球・大学野球とやってきて現在に 至るが、ダブルヘッダーを二つ続けて大敗などというのは記憶にない。実際には あったかもしれないが、小学生時代くらいまでさかのぼらないといけない。 特に公式戦となれば高校野球・大学野球ではダブルヘッダーの経験がないから そこまでさかのぼる必要がある。(失礼だが)大した人数がいるわけでもないが 観客もいる。メディアで結果を気にかけてくれる人もいるだろう。その前で 1日で2度の大敗ができるか。筆者はそれだけ思っていた。

2001年8月28日 保土ヶ谷球場 日本選手権神奈川県予選5位決定1回戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
相模原クラブ 3 1 0 0 1 0 1 1 2 9
三菱重工横浜クラブ 0 0 0 1 0 2 1 5 10×
(9回サヨナラ)

初回にうちの打線が千葉をとらえる。千葉はクラブチームとの対戦でよく先発するが企業チームとの 対戦でほとんど投げない。それほどこわいピッチャーではない。上位打線が5安打を集め、3点を先制した。 しかしそれくらいなら1年前のいすゞ自動車との試合でもあった。ここからが大事だ。 そう思っていたら1回裏、先発の中村が無失点。そして2回に2死1塁での金井の センター前ヒット(左中間寄り)をセンターがはじく間に1塁から幸大が生還。 貴重な追加点。中村は3回に2死2.3塁のピンチを迎えるもここも無失点。3回まで0で来た。 4回に門間にソロホームランを打たれたが5回表、1死2塁から2塁ランナー・清水が 3盗を決めてフルの内野ゴロで効率的に加点。いいペースだ。理想通りに得点を重ね、 互角以上の戦いをしている。主導権を握っている。予想以上にいい展開だ。

それでも6回に中村が斉藤に2ランホームランを浴びて5-3。中村は変化球でしっかりと ストライクが取れ、多少いい当たりも野手の正面をついたりして、完全にペースに はまった投球をしていたが、さすがに相手も簡単には引き下がらない。 それでも7回表にフルのタイムリーで1点。7回裏に門間のポテンヒットで1点取られた ところで中村降板も、佐藤(裕介。県商工高校出身)・高橋とつないで7回は1点止まり。 8回表には2死2塁から幸大の三遊間ヒットで2塁ランナー・敏さん(新井敏文。帝京大学出身)が 生還し、貴重な1点。序盤からベンチでヤジを飛ばしていたが、三菱重工横浜の外野守備も強くない。 エラーもするし外野からの返球では走者を刺せない。そんなこんなで8回表を終わって7-4。 追い上げも食っているのだが、点を取られたところでしっかり取り返せている。 相手も「絶対いつか追いつけるだろう。負けるわけはない」と思ってもいるだろうが、 さすがにこの点の取り方を繰り返していれば焦りも出てくるだろう。少なくとも 筆者が相手側の人間なら何度かは焦り、すでに何度か腹をくくってもいただろう。

8回裏、三菱重工横浜は先頭の保谷に代打・阪本。レギュラー級選手の一人が代打で出てきた。 しかしレフトフライで1死。一つ山を超えたかと思った。8番の高安が三遊間ヒットで出て、 9番・佐藤に代打・渡部。神奈川の社会人野球でトップレベル、全国的にもかなり高い レベルにいる打者と言っていいだろう。恐い打者が出てきたが、筆者個人としては 相手の焦りは感じた。渡部はここか? 走者をためるなり進めるなりしてチャンスを 作ったあとで出てこられる方がこちらは恐い。1番・小原、2番・福留は当たっておらず、 あるいは渡部の本来の打順である3番で代打として出す選択もいい。そんなことを思っていたが マウンドの高橋が渡部に四球。小原には三遊間を抜かれて1死満塁のピンチを作った。 もちろん、3点くらいのリードで簡単に勝たせてもらえるとは思わないが、 さすがに反撃の波が押し寄せてきた。そして左の福留を迎えたこの場面、監督が 4番手リリーフに指名したのは新堀だった。神奈川クラブ戦のこともある。 筆者ならどうしたか、ちょっと新堀に託す選択をした自信はないが、だからと言って 他に適切な選択肢も見当たらない。高橋の続投も危険だし、左で残っている竹内(一誠。相武台高校出身)も 1死満塁でのリリーフはきつい。飛弾は第1試合で2回途中KOとは言え70球くらい 投げており、この試合は準備もしていなかったと思う。中村・佐藤はすでにベンチ。 駒は使い果たしているに近かった。それでもこの場面、新堀が福留を浅いレフトフライに 打ちとって2死。打席に3番の鶴岡を迎えた。この試合4打数2安打と当たってはいたが、 こちらの評価としては、恐さには欠ける打者。ここで渡部が残っていたらどれだけ いやだったか。フイに点差を計算してみる。ホームラン以外なら逆転はない...。 ホームランさえ打たれなければ...。カウント2-2から勝負に行った全力の直球を 打ち返した鶴岡の打球。打った瞬間に最悪のシナリオを感じさせる打球。 ライナーで左中間スタンドに弾んだ。

続く門間にもホームランを打たれて7-9。2点のビハインドで9回を迎えた。 ここまでいい試合をしてこのまま負けたくはない。我々が逃げ切りの難しさを 感じたならば相手にもそれを感じる可能性はある。先頭のフルが三遊間ヒットで出塁。 喜多(洋介。横須賀学院高校出身)は三振で1死。打席には主砲だがこの試合は6番に 下がっていた白石を迎えた。下位に向かう打線、白石がつないでもそこから2点取れるかは微妙。 手っ取り早いのは白石の同点2ランだとか思っていたところで本当に出た。 レフトスタンドに飛び込む起死回生の同点2ラン。盛り上がるベンチ。マウンドで 膝に手をつく矢島。さすがに三菱重工横浜もビビリはあっただろう。絶対に逆転できるだろうと 思いながら試合を進め、思ったより苦労はしたものの予定通り逆転。本来なら 相手の意気消沈でそのまま逃げ切れる、あるいは逃げ切らなければいけない展開だが まだ抵抗を食う。それでも矢島は後続を断ち、同点止まりで9回裏を迎えた。

9回裏、先頭には守備から入った宮崎。打席が回ってくるはずではなかったろう。 こちらも知らない選手で、データもない選手。これが詰まったピッチャーゴロを 打ったのだが、変な回転でバウンドもあわず、新堀が捕り損ねて内野安打に。 高安が送って1死2塁。筆者はここで監督にうかがいをたてる。「渡部敬遠はどうか?」 監督も当然考えていた。「バント失敗で1死1塁でも敬遠でいいと思っていた」。 渡部敬遠で1死1.2塁。当たっていない1・2番との勝負。ベンチから外野に前進守備の 指示が出る。思えば、企業チームとの対戦でもあくまで勝つ気持ちで臨んでいるつもりではあるが、 1点を取るための送りバント、1点を守るための敬遠や前進守備が、企業チームとの対戦で 出てくるとはあまり思っていなかった。そして、左の新堀に対して1番の小原は右打席に立った。 スイッチヒッターのわりに前日のいすゞ自動車戦で左投手相手でも左打席に立ち、 右打席は捨てたのかと思っていたが再び右。気分で変えるスイッチか? ライトフライで2死。 福留を迎える。福留が2球目を打った打球は一二塁間に転がったが一塁・白石がよく捕った。 一塁カバーに新堀が走り、白石が逆モーションの難しい体勢で一塁に投げる。 このへんの守備がうまくない新堀がこれを捕れない情景が筆者の脳裏を かすめたが、本当に捕れないことが起ころうか、新堀よ。ボールがこぼれて本塁方向に転がる。 キャッチャーの喜多がこれを拾いにはいくが、それは同時に本塁のがら空きを意味する。 2塁ランナーが生還し、あっけなくサヨナラ負けを喫した。いろいろな点で「しょうがない」とも 思ってきたが...こういうところはしっかりやってほしかった。しっかりできる チームにならなきゃいけないと思った。大接戦。予想以上の健闘をしたとも思う。 しかし本当に悔しい形で、サヨナラ負けという形で我々の日本選手権予選は終わった。


それからしばらくがたった。あのときの試合は、全力を尽くしていい試合を展開した という意味で、精一杯やった満足感みたいなものはある。 しかしあと一歩届かなかった勝利、チームにとって非常に大きな意味を持つはずの "勝利という結果" を得られなかったことに対する悔しさもなお残る。一方で冷静にも振り返ってみる。 我々はあの1試合だけに関して三菱重工横浜と互角の勝負はしたかもしれないが、それは 何試合かに1回の割合で起こることがあの日に起こっただけとも思う。三菱重工横浜には2年前の 都市対抗予選で0-20の大敗を喫しており、向こうがそのときより力が落ちたであろうことで 少しは差は縮まったかもしれないが、まだまだ彼らと互角のレベルに達したと言えない。 実際に三菱重工横浜は翌日の5位決定戦で日石三菱に辛勝して第5代表を獲得している。 我々が同じ勝負を日石三菱とできたとは、到底思えない。だいたいが、いい試合をしたと 思っている8月28日第3試合ではあるが、同日第1試合では三菱ふそう川崎にまったくいい ところなく敗れているわけである。三菱重工横浜と三菱ふそう川崎の差はあれど、 我々の "善戦" はまだ偶然の領域を出ない。

何が言いたいか。すべてはこれからなのである。この大会をどうとらえ、これから どう取り組むか。いい面を評価する意味で一時的に満足してもよいが、そこで終わっては進歩がない。 何を思って試合に取り組み、どういう結果が出て、それをどう評価するか。 相模原クラブは、2001年8月28日を忘れてはならない。


我々にとって長かった1日。筆者のその日はどう終わったのか。疲れてもいて、いつもより早めに 床についたが眠りに入ったところで、仕事で試合に来れなかったシモから電話があった。 試合のことを聞いてくるが、正直うっとうしい。悔しい思いを残して疲れ果てた 状態で眠りに入ったところで起こされた。「なに? 眠いの? 怒ってんの?」。 あまり話をしたくない。悪いがそっとしておいてほしい。

午後11時45分。長い1日はこうして終わった。筆者はこの1日を忘れない。


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