相模原クラブ「つぶやき」集

遠征で得たもの
〜群馬からの上昇気流〜

(相模原クラブ・山口陽三)

2003年8月、相模原クラブは例年より多めの遠征を行った。普段の活動は たいてい週に1〜2回、主に神奈川県内で練習や練習試合を行うことが多いが、 この時期はたまたま県外への遠征が続いた。チーム力向上のために県外の強豪チームと 練習試合をしたいという要求もあるわけだが、自前のグランドを持っていないために 日常的に "練習試合をしてくれる相手" "練習させてくれる場所" を探しながら 活動しているのが実情である。この時期に遠征が増えたのは恣意的なものと 偶発的なものと、半々であるというのが実際のところである。

8月10日(日)、相模原クラブナインは群馬に向かっていた。午前9時半、 関越自動車道上里PA集合。何台かに分乗した部員が三々五々集まった。 そこから車を連ねて高崎ジャンクションから北関東自動車道に入り、伊勢崎インターで降りた。 その辺りで先方の迎えがまいり、少し走って伊勢崎工業高校第二グランド というところに案内された。この日は、全国でもトップレベルのクラブチームの 強豪・全伊勢崎硬建クラブとのオープン戦だった。

雨の影響等で2週分の活動を流していた我々とすれば久しぶりの活動である上に 非常に暑い日だった。着いたら相手チームはすでに練習中。ウォーミングアップ 終了後に我々も打撃練習をさせてもらえた。高校の第二グランドというが、 普通に野球の試合をできる、いいグランドである。

1 2 3 4 5 6 7 8 9
相模原クラブ 0 0 0 0 0 0 0 3 9 12
全伊勢崎硬建クラブ 0 0 0 0 1 0 0 3 0 4

試合はすごい試合となった。相手はクラブ選手権の全国大会も近づいていて チームも仕上げの状態に入っている。そんなこともあって当初は使用バットとして金属を 申し入れてきていたが、こちらは県内のクラブ同士の対戦も木製で統一しており、 金属はもはや、普段は使っていない。そういった事情を汲んだのか、相手も結局 木製バットで臨んでくれた。こちらが最も信頼のできる飛弾を先発に立てたこともあり、 強豪チーム相手に0行進で試合が進んだ。それでも5回に相手の5番打者・山口選手に ソロホームランで均衡を破られる。この選手は1打席目からいい打撃をしており、 要注意とは思ったが名簿を見ると横浜そごうにいたことが判明。 昔我々も横浜そごうと対戦しており、そうは言ってもこの選手のことは知らないが なるほど実力は確かなものらしい。我々の反撃は8回。2塁打の溝口を白石の 内野ゴロで還して追いついたあと、2死満塁と攻めて新井幸の2点タイムリーで勝ち越し。 マウンドに、ここ1年以上抑え投手として投げてきている高橋を送る。 我々としては策を尽くし、逃げ切りを図りたいところである。 しかしこの高橋が不調で、四死球のあと山口選手に逆転の3ランを浴びた。 この選手、一人で4打数4安打4打点。ただものではない。

強豪チームとせっかく組めたオープン戦。朝早く地元を出発しての遠征。 持てる戦力をすべて出して勝ちに行っている試合。オープン戦と言えど負けられない。 最終回の攻撃は先頭の越口が四球。打順は4番の溝口。作戦としても迷う場面では あったが結果的にはいい当たりが二塁手正面をついて最悪の併殺打となった。 点差は1点と言えど9回2死無走者まで来た。しかしここで主砲として長くチームを 支えてきた白石がカウント2-0からレフト線への2塁打で出塁。代走で入っていた 岩澤に代わる代打・金井は、打ちたい気持ちを抑えつつ四球を選ぶ。 田山死球で満塁まで来た。2死満塁。打順は下里にまわった。投手ではあるが 高校・大学では投手と内野手を兼任。大学時代は4番を打つなどもともと打撃も悪くなく、 この試合はチーム事情で捕手で出場していた。ここもカウント2-0と追い込まれたが 謙虚に右に打ち返した打球は一二塁間を抜いた。2走・金井が際どいタイミング ながら逆転の生還。4年前には神奈川県社会人野球ベストナインの特別賞も獲得し、 その後もチームでレギュラーをはってきたがこの日は控えにまわっていた金井。 代打で起用された一打同点の場面でも打ちたかったろうが無理な打撃をせず次につなげ、 そして逆転の走者として生還した場面では本当にうれしそうだった。 チームが盛り上がり、プレッシャーが解けた。あとは坂井バント安打、 新井幸タイムリー、この日好機で2三振を喫していた越口が満塁から2点タイムリーで ダメを押し、仕上げは先ほど最悪の併殺打を打った溝口がダメのダメを押す3ランを放った。 負けられない思い、あきらめない思いを皆が持つことができ、とは言え 自分ひとりでなんとかしようと意気込まず、次に次につなげることで大きな成果を出した。 得るものの多い、非常にいい群馬遠征となった。

相模原クラブ 8月10日 対全伊勢崎硬建クラブ戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
G 新井幸△ 四球 遊ゴ 四球 四球 左安 右安
C 新井敏 三振 三ゴ 投犠
H→4 登石 死球 三ゴ 死球
D 越口 四球 四球 三振 三振 四球 右中2
H 溝口 三振 投ゴ併 遊飛 左2 二ゴ併 中本
B 白石 遊ゴ 遊ゴ 遊ゴ 一ゴ 左2 投ゴ
DH 古舘 右安 四球 右飛 右安
R→DH 岩澤△
H→DH 金井△ 四球
F 小室△ 四球 一ゴ
H→7 田山 四球 右安 死球
A 下里 死球 二ゴ 遊ゴ 中安 右安
E 坂井 三振 右飛 投犠 三飛 投バ安


翌週(8月17日)は遠征とはならなかったが神奈川工科大グランドで神奈川工科大とオープン戦。 1軍(?)は別の会場へオープン戦に出ているということで残留組とのオープン戦となったが、 9-3で勝利。いい形になってきた。ところが8月24日には帝京大とのオープン戦で大敗。 6月の山梨遠征で好投した新堀が序盤から相手打線につかまり、守備も乱れた。 相手が強いとは言え、まるでいいところのない大敗だった。 試合後の反省が長い。全体の反省のあと、投手陣はまた個別に反省。 ちょっと重苦しかった。「せっかくいい形になりつつあったのに...」という思いもあった。

翌週の8月30日(土)は松戸BASEBALL CLUBとのオープン戦。事情あって 「西武線東大和市駅、8時半集合」と、グランドではなく駅での集合。 初めての場所、初めての相手、ましてまたもや朝早い。加えて普段と違って 土曜日の活動だったこともあり、岩永監督・古舘主将らが欠席。 監督代理に新井敏、主将代理に白石を立ててのオープン戦となった。 戸惑う要素は多くあったが我々の活動にはこういうこともつきものと、割り切った。 試合は11-0と結果的に大勝となったが試合後は序盤に好機がありながら 先制できなかった点を反省。チーム全員で点を取りに行くこと、各自が最低限の役割を 果たすことが必要であることを確認しあった。

翌週の9月7日(日)、今度は午前10時に東関東自動車道潮来インターに集合していた。 東京好球倶楽部が茨城県の波崎で合宿をしているとのことで、そこにオープン戦に 招かれたものである。潮来インターを降りて水郷通りを走り、11時前には 先方のグランドに着いた。春のオープン戦ではダブルヘッダーを2試合とも 大敗している相手であるし、こちらも来週には公式戦を控えている。 負けられない試合である。試合は先発の菊地が苦労しながらなんとか耐え、 打線もコツコツと得点を重ねた。6-2とした6回に1点差にまで追い上げられたが 終盤に効果的に追加点も奪うことができ、最後は飛弾で逃げ切ることができた。

公式戦前1ヶ月のオープン戦を3勝1敗。結果も出ているし内容もいい面は見られる (帝京大戦のように悪い面も見られるが...)。まずまずいい形で公式戦に入れる。 日本選手権神奈川県予選1回戦。相手は全川崎クラブ。筆者も役割上(?)、 相手チームの資料を作ってプリントにして配った。ただ、ナインはそんなものを 見るまでもなく、全川崎クラブは今年勢いに乗っていて結果も出してきているチームだと いうことは把握している。我々も6月のオープン戦で負けている。簡単に勝てる相手ではない。 そこは認めつつも、筆者は手応えも感じ始めていた。資料を作って冷静に相手を分析してみると なんとかなりそうだということも一つあったが、それよりもチームの状態が なんとかいい方向に向かってきているということがその大きな理由だった。


迎えた日本選手権予選は見事に初戦を突破することができた。 全川崎クラブ戦では先発の飛弾が調子は悪くないながら序盤に長打攻勢で 失点して1-2とリードされて6回まで来たが、そこで打線が相手投手をとらえて逆転。 捕手としての姿が定着し始めた下里が2番手投手として8・9回を締めて6-3で逃げ切った。 勝っても負けてもバタバタする、特に終盤に荒れることの多い(と思っていた) 我々だが大事な試合をしっかりした形で勝つことができた。

あとの2試合については結果だけを見れば惨敗である。我々の実力が相手と比べて 足りなかった点は認めざるを得ない。しかしその中でも光明を見出しているつもりではいる。 東芝戦に先発した新堀。確かに数字の上でも4回途中7安打4自責点で降板と、 それほどいいところもないが東芝打線はタイミングが合っていなかった。 打たれたヒットにしても詰まったような打ち取ったような当たりも多かった。 プロ注目の香月投手から打線をつないで3安打を集めた6回の攻撃にも光明はあった。 ただし結局自滅で大敗を招いてしまった我々は、まだチームとしての力は足りない。 三菱重工横浜クラブとの試合は5回まで0-0と、緊迫した試合だった。 0-0の間も展開としては押されっぱなしではあったが、何かの拍子で最初の1点が 我々に入っていればおもしろかった。相手に入ってしまったことでこちらが 一気に崩れてしまったが、何らか手応えは感じられる試合だったと思っている。 大会を取材した某新聞が「相模原クラブは投手陣が安定しなかった」「相模原クラブは 完敗だった」と書いても、中身の個々のことについては得るものがあったと思う。 それは、群馬での大逆転劇からチーム内でしっかりした意識づけができつつある過程だからこその 成果であるととらえたい。


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