相模原クラブ「つぶやき」集

"4年目〜5年目"
(相模原クラブ・山口崇)


ドキドキしていた。

正直、高校野球をやめてから野球のレベルが一つ上がるとは思ってなかった。

初練習

ショートゴロ…無理な態勢、間に合わないと思った打球は強肩によりアウトになった。
フリーバッティング、レフトフライ…そう思って見上げた打球はサクを越え、 林の中へと消えて行った。

初めて観戦した試合

府中市民球場
3対15

…そんなチームがボロ負けした。

びびってファーストまで投げられない病にかかっているような僕では、到底足手 まといだ…そう感じた。

ただ、心の底では、このレベルで野球がしてみたい、またハリのある野球がした い…そういう思いもあった
「とりあえず、来週から来れるときコイヨ!」
そう、溝口さんは優しく声をかけてくれた。
野球オーラプンプンの監督も、「レベルなんか大丈夫だから来いよ」と言ってくれた。

僕は入部を決めた。

幸いにも当時は僕らの代の選手は大勢いた。みんなそれぞれ、同じ神奈川で戦った奴らで面白かった。
相模、光明、PL、Y高…一緒にやるだけで、刺激になるやつらだった。 (もう、クラブには誰もいないけど)
野球に関しても、意識は人一倍高い奴らだった。

先輩達も、各自いろいろなトレーニング、ケア、工夫をしていた。
話をしていると、新しい感覚ばかりだった。
「アメリカは…」っておいって感じだった。
試合にはほとんど出れなかったけど、見るだけ、いるだけで刺激があった。


そんな中、僕に一つのカツが入った。

「そんなのもわかんねぇのか」
(神藤さん)

試合を`見てた´僕はスコアを聞かれて答えられなかったのだ。
ただ、これを言われてふと、目が覚めた。

当たり前だけど野球を見に来てるわけじゃない。

・・・というわけで、入部当初のことを少し思い出してみました。

縁あってSAGAMIHARAクラブに入れたことを僕はとても幸せだと思っています。

ほんとにいい先輩、チームメイトに囲まれて、時には、叱咤激励できる、 仲の良い素晴らしいチームにいられて、幸せだと。

いままでは、学生として、アルバイトや、学校で、活動に参加できないこともあった。
2週も離れていると、やはり行きづらくなってしまうこともありました。
どうしても、コンディションが整わないこともあって、迷惑かけることもありました。
車とか、、、寝てないですけど・・・

そんなこんな、このチームの人のやさしさにより、僕は野球を続けることが出来ました。
この場を借りてお礼を言いたいと思います。


〜就職活動をするにあたって、社会人になるにあたって〜

楽しく野球を続ける一方で、 4年やって、プレーで結果が出ていないという事実もあった。
(もちろん結果が全てではないのだが)

「就職活動」

これを期に、クラブを辞めようかとも迷った。でも辞めるのはやめた。
チームのみんなが、僕の予想以上に、僕のことを気にしてくれていたからだ。
声をかけてくれたから。

「ありがとう」

自分の存在意義を感じられるようなそんな言葉は僕にとって大きなモチベーションとなった。

遠征の相乗りの誘いの話、あいた日曜日の練習の誘いの話、僕のバッティングの話、 守備の話、他のポジションの進め、就職の希望の話、

、、、彼女の話・・・

「来年はやれんの?」

そして、僕の就職先の基準は、土、日休みのところ。となっていた。


    いるだけで、刺激になったでも、そうじゃいけなかった1年目。

    何か、できることはないか。そう考え始めた2年目。

    試合に直接貢献、チームとして表彰され、感謝され、嬉しかった3年目。

    チームが勝ちあがるごとに、夢中になった4年目。

    そして、まもなく5年目。この年は大きな変化の年。

まず、社会人になること。毎日が仕事。その中での活動。どれだけできるかわからない。
しすぎて野球どころじゃないかもしれない。

けれど、やりたい。

あと、もう一つ、

そろそろ、プレーでもチームに貢献したいと。(もちろん、実力が伴ってこその話です)

そして、チームとして強くなっていきたいと。

「勝利への渇望」

いまさらこんな思いになっても何様って、話かもしれない。
でも、5年目にして初めてその思いは絶対的なものとなった。

「北へ・・・・」


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